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2010年1月の9件の記事

2010年1月31日 (日)

映画「ハッピーフライト」

 矢口史靖(やぐち・しのぶ)監督。

 テレビでやっていて見たもの。ただのドタバタだろうなんて思っていたのだけど、飛行機を飛ばすために関わる人々の仕事を、コメディ仕立てながら、まじめに描いていて、意外と気持ちのいい作品でした。山崎豊子『沈まぬ太陽』(2009年12月6日の記事)と井上文夫『時をつなぐ航跡』(2009年12月13日の記事)を読んでいたので、余計そう感じられたのかもしれません。

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2010年1月28日 (木)

安藤たい作ニュース108号「知的障害者グループホームが増設/開所式・施設内覧に参加してきました」

Andounews0108    「安藤たい作ニュース108号」(PDF)

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2010年1月25日 (月)

名護市長選、稲嶺ススム氏当選

  得票数
稲嶺ススム 17,950
島袋ヨシカズ 16,362

 辺野古への新基地建設に反対、との民意が明確に示されました。1997年に新基地建設の賛否を問う市民投票が行われて反対票が過半数を超えたにも拘わらず、1998年以降に行われた3回の市長選では移設容認派の候補が勝利してきました。ところが、4回目の市長選の今回は、基地建設反対を明確にした稲嶺さんが当選したのですからなおさらです。

 稲嶺さんは「13年間の思いを市民の皆さんが選挙にぶつけてくれた。辺野古の海に新しい基地は造らせないという公約を信念を持って貫きたい。これが新しいスタートだ。皆さんにお約束してきたことを実行することで、支援に応えたい」と当選の喜びを語ったそうです。

 日本政府は、自国の利益ばかりを考えたアメリカ政府の脅しに屈せず、新基地建設の撤回と、普天間基地の即時撤去という、当たり前の筋を通すべきだと思います。

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名護市長選:県外移設派、稲嶺氏当選 辺野古案困難に
(毎日新聞電子版 2010年1月24日 21時43分(最終更新 1月24日 23時47分))

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題を最大の争点とした沖縄県名護市長選が24日投開票され、県外移設を主張する前市教育長の稲嶺進氏(64)が、条件付きで移設を容認する現職の島袋吉和氏(63)を破り、初当選した。これにより、自公政権が06年に米政府と合意した米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(同市辺野古(へのこ))への移設は困難となった。鳩山政権は移設先の見直し作業を加速させる方針だが、米側は合意の履行を求めており、解決のめどは立っていない。

 投票率は76.96%で、過去最低だった前回の74.98%を上回った。当日有権者数は4万4896人だった。

 名護市長選で移設の是非が争点となるのは普天間飛行場返還に日米が合意した96年4月以降、98年2月を最初に今回で4回目。これまでの3回は移設容認派が当選しており、反対派の勝利は初めて。稲嶺氏は24日夜、選挙事務所前で記者団に「辺野古の海に基地は造らせないという約束で選挙を戦ってきた。しっかり信念を持って貫く」と語った。

 稲嶺氏の陣営には国政与党の民主、社民、国民新党に共産党も加えた反自公勢力が結集。県外移設とともに、鳩山政権との連携による地域振興などを訴え支持を広げた。自民、公明両党や市経済界の支援を受けた島袋氏は、選挙戦では移設問題にほとんど触れず、市政継続を訴えたが及ばなかった。

 鳩山政権は12月、普天間移設問題の結論を5月に先送りすることを決め、政府・与党の沖縄基地問題検討委員会(委員長・平野博文官房長官)を設置して見直し作業を進めている。社民党の福島瑞穂党首(消費者・少子化担当相)は24日夜、記者団に「内閣は地元の民意に応え、辺野古沿岸に基地を造らないことに全力を挙げるべきだ」と強調。鳩山由紀夫首相は名護市長選の結果が移設先の検討に影響するとの見方を示しており、辺野古移設の選択肢は事実上消えたと言える。

 稲嶺氏の当選により県外移設への期待が沖縄県内でさらに高まるのは確実。しかし、有力な移設候補地は見当たらず、平野長官は10日、沖縄本島や離島を上空から視察するなど県内移設を模索する構えも見せている。米側との調整も難航必至で、鳩山首相が設定した5月の期限へ向け政府は難しい対応を迫られる。【三森輝久】

 ◇解説 「基地振興策」に終止符を

 普天間移設受け入れの是非が問われた名護市長選で、初めて「移設反対」を掲げた候補が勝利した。背景には「基地受け入れと引き換えの振興策」に対する市民の反発がある。日米安保体制の維持装置として自民党政権時代に定着した「政官業トライアングル癒着」の構造で、普天間問題の膠着(こうちゃく)の原因でもあった。鳩山政権は問題の根本的解決に向け「トライアングル」に終止符を打つべきだ。

 選挙期間中、現在の移設先の辺野古で「基地と一緒に生活していくしかない」という容認派住民の声を聞いた。

 自民党政権は沖縄の本土復帰以来40年近くかけ、過重な基地負担を国からの振興策と引き換えに受け入れさせる仕組みを築き上げた。しかし、名護市の受け入れ表明から10年余り、市の財政は悪化し、振興策の成果も市民が実感できるには至っていない。移設受け入れの理由は「地元に仕事が落ちる」と矮小(わいしょう)化され、市民から「恩恵にあずかるのは一部の業者だけ」との反発も招いた。

 「移設反対」候補の勝利を受けて鳩山政権に求められるのは、振興策を投下することで沖縄に基地負担を甘受させてきた自民党時代のシステムの変革だ。民主党が08年にまとめた「沖縄ビジョン」の原点に立ち返り、基地経済から自立型経済への転換に向けた青写真を示すべきだ。

 その上で、普天間の移設先としてどこがふさわしいかを議論することが必要だ。海兵隊の存在が抑止力として必要なのか、必要ならば沖縄県内でなければならないのか。そのことがひいては日米安保体制を安定させ、鳩山由紀夫首相が目指す「日米同盟の深化」につながると考える。【上野央絵】

2010年1月14日 (木)

安藤たい作ニュース107号「品川『教育改革』スタートから10年/『市民の目で検証を』シンポ開かれる」

Andounews0107    「安藤たい作ニュース107号」(PDF)

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2010年1月10日 (日)

神水理一郎『清冽の炎』第1~5巻(リンク追加)

 昨年の6月に読んだものです。その頃しんぶん赤旗の広告が目に止まり、興味を惹かれたのでまとめて買って一気に読みました。著者の神水理一郎(くわみず・りいちろう)氏は、福岡県で弁護士をやられている永尾廣久さんのペンネームだそうです(河田英正のブログ 2008年01月03日「清冽の炎」)。なので、永尾さんの書かれた『星よ、おまえは知っているね-セツルメント青春群像』も引き続いて読ませていただきました。

 この『清冽の炎』、面白かったです。やっと東大闘争時のキャンパスの具体的な雰囲気が分かったように思えました。

 と言うのも、当時の学生は皆、こんな行動が政治や社会の変革に結び付くなどと本気で考えていたのか、ずっと疑問だったからです。この1968年頃の学生運動と言うと必ず、安田講堂に立てこもった全共闘を警察機動隊が排除・逮捕していくときの映像が流されますし、当時小学校6年生だった僕もこの映像をテレビで見ました。しかし、多数の学生が、持続的に、大学と街の施設を破壊したり学生・教員を暴行することで大学と社会・政治が変わると本気で考えていたとは、とても思えなかったのです。

 そこでこの『清冽の炎』に飛び付いたわけですが、正解でした。ああいう考えと行動に走った学生は、結局は少数派だったことが、具体的によく分かったからです。しかも、多くの学生が、こういう状態や学生を単に傍観して放っておくのではなく、それをなくすべく、立場・考えの違いを越えて力を合わせて真正面からたたかったということも具体的によく分かりました。他方で、当時の自民党政府・警察が、大学への管理を強化し、革新勢力のイメージを貶めるために、この破壊・暴力活動を利用する流れも分かります。

 事実関係は著者自身の実体験と十分な調査によりありのままに描きながら小説仕立てなので分かりやすい。小説の登場人物としては、神水という学生が、僕にとっては最も魅力的でした。

 この関連で、島泰三『安田講堂 1968-1969』(中公新書)という全共闘で安田講堂に立てこもっていた人が書いたものも読みましたが、情緒的な思考で自らを正当化する風のもので、全然ダメです。事実を歪めて書いていることも、この記事の最後に引用するブログの記事で具体的に指摘されています。

 この全共闘の破壊と暴力の活動は、結局その後の学生と国民から政治と社会への関心を奪っていったのだと思います。日本人の中の政治的・社会的に未熟な部分が全共闘になり、また、その行動が、日本人の政治社会意識の向上を大きく妨げたのだと思います。彼らの罪は大きいと思います。

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 福岡県弁護士会ホームページの中に設けられた「弁護士会の読書」というブログで読んだ方から詳しく紹介されています。

2005年12月16日「清冽の炎」
2006年12月27日「清冽の炎 第2巻・碧山の夏」
2007年07月27日「清冽の炎(第3巻)」
2007年08月03日「清冽の炎(第3巻)」
2007年08月10日「清冽の炎(第3巻)」
2007年12月25日「清冽の炎・第4巻『波濤の冬』」
2008年11月10日「清冽の炎(第5巻)」

 以下も参考になります。

2006年02月02日「安田講堂」
2008年08月01日「ゲバルト時代」
2009年10月09日「1968(上)」
2010年01月16日「1968年に日本と世界で起こったこと」

2010年1月 9日 (土)

映画「いのちの山河-日本の青空Ⅱ」

 大澤豊監督。原作は及川和夫『村長ありき-沢内村 深沢晟雄の生涯』。

 1月8日、新宿武蔵野館の上映最終日に見ました。133の座席が文字通り満席。おまけに最終日ということで監督の大澤豊さんが終了後に挨拶されました。

 本当に素晴らしい作品でした。主人公の深沢晟雄さんの人柄と生き方が素晴らしいのだと思います。

 深沢さんという人を僕が初めて知ったのは、2007年4月16日のしんぶん赤旗、1面の潮流欄ですが(2007年4月18日の記事)、同じ年の9月19日にはNHKの「その時歴史は動いた」で取り上げられ(http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2007_09.html#03)、もっと良く知ることになりました(2007年9月21日の記事)。

 これらの記事や番組では、日本で初めて乳児医療費を無料化した村長として紹介されていますが(1961年)、本作品では、その前年から高齢者医療費を無料化するなど、「豪雪、多病多死、貧困」を三悪として、村長としてそれを克服すべく村人と共に着実に実行していった深沢さんの姿が描かれています。それだけでなく、個人としての深沢さんの姿も描かれています。これもまた感銘深い。人の生き方、政治のあり方双方について、感動させられ、考えさせられ、学びたく思わせられるものが満載の作品でした。

 深沢さんを演じた長谷川初範さんと、その父親を演じた加藤剛さんの演技が印象的でした。

 この作品は、そのタイトルにある通り、「日本の青空」という日本国憲法制定過程を描いた映画の(2007年11月30日の記事)、シリーズ第2作と位置付けられていますが、挨拶された大澤監督は、第3作を撮りたいと考えているそうです。できても2年後だそうですが、今から楽しみです。

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2010年1月 8日 (金)

安藤たい作ニュース106号「国保料の更なる値上げ狙う区長会/引き上げストップ緊急要請行動に参加」

Andounews0106    「安藤たい作ニュース106号」(PDF)

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映画「無法松の一生」

 稲垣浩監督。三船敏郎主演の1958年版。脚本は伊丹万作に稲垣浩。

 結構面白い作品でした。

 出だしから引き込まれていきましたが、後半は少々物足りないものを感じました。主人公の松五郎をもう1歩描き込んで欲しかった気がします。

 これは本筋ではないのかもしれませんが、日清戦争が終わった頃から日露戦争を経て第1次世界大戦初頭までが時代背景だからでしょうか、男ならこうあれという考えや軍人は立派だという考えを手放しで描いているように思える点が、鼻に付きました。

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映画「モンタナの風に抱かれて」

 ロバート・レッドフォード監督。

 いい作品ですが、月並みです。

 アメリカのモンタナ州の風景がとても美しいですが、人物像は平板なもので、型にはまったお決まりの描かれ方しかされてないように思います。

 ロバート・レッドフォード演ずるトム・ブッカーとサム・ニール演ずるロバート・マクリーンという男性陣には共感できますが、クリスティン・スコット=トーマス演ずるアニーマクリーンやスカーレット・ヨハンソン演ずるグレース・マクリーンという女性陣にはほとんど共感できません。2人とも僕の嫌いなタイプの女性なんでしょうね。

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