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2009年2月の13件の記事

2009年2月25日 (水)

中東問題の基礎知識 2

 不定期連載の続きです。

目次

中東問題の基礎知識 12月16日の記事

イスラエルの領土拡張
国家樹立めざすパレスチナ
オスロ合意とロードマップ
アラブ和平案
侵食されるヨルダン川西岸
パレスチナの内部対立
エルサレム

中東問題の基礎知識 2(この記事)

パレスチナ紛争の発端

日本共産党 知りたい聞きたい2月16日の記事

イスラエルと米国 どういう関係?

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2009年2月24日(火)「しんぶん赤旗」

中東問題 基礎知識
パレスチナ紛争の発端

 パレスチナ紛争の発端は、二十世紀初めに中東地域への進出を狙った英国がユダヤ人、アラブ人双方にパレスチナを領土とする独立国家建設を約束したことにあります。

 オスマン帝国のパレスチナではアラブ人とユダヤ人が共存していました。十九世紀末、欧州各国でのユダヤ人迫害を背景に、パレスチナに「民族郷土の創建」をめざすシオニズム(シオンはエルサレムをさす)の運動が起こり、欧州に住むユダヤ人のパレスチナへの移住が急増します。

 英国は第一次世界大戦(一九一四-一八年)でオスマン帝国がドイツ側について参戦すると、後方かく乱のためアラブ人の協力を得、他方で米国や英国などのユダヤ人財閥からの金融支援を得ようとしました。

 このため、英国は一九一五年にアラブ人の封建的支配層に「将来の独立を許す」と約束する一方、一七年にはシオニスト運動の指導者たちにも「民族郷土創設」への支持を約束しました。

 ところが英国は一六年にフランスとの秘密協定でオスマン帝国の分割を取り決め、第一次大戦後、パレスチナを英国の植民地にしてしまいました。英国の「三枚舌」外交と呼ばれるものです。

 ユダヤ人のパレスチナへの移住はナチス・ドイツによるユダヤ人弾圧で一気に増大。四五年には六十万人に達しました。シオニズムは、パレスチナ全域にユダヤ人国家をつくることをめざし、パレスチナ・アラブ人の国家を認めない立場でした。アラブ諸国の支配層もユダヤ人国家を認めていませんでした。

 第二次世界大戦後の四七年十一月、国連総会は二つの民族の自決権を認めるパレスチナ分割決議を採択しました。しかし、当事者間の合意ができないまま、四八年五月にイスラエル建国が宣言され、アラブ諸国はイスラエル建国を認めないとしてイスラエルを総攻撃し、第一次中東戦争が発生しました。

2009年2月20日 (金)

ベネズエラ地方選(2008.11.23)

 昨年11月23日に投開票されたベネズエラ地方選に関するしんぶん赤旗の記事です。今回の大統領3選禁止規定の撤廃に関わって改めて読んだので、クリップしておきます。

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2008年11月25日(火)「しんぶん赤旗」

ベネズエラ地方選
与党、17州で勝利

 ベネズエラの一斉地方選挙は二十三日、二十二の州知事選などの投開票が行われ、チャベス大統領の与党、統一社会主義党(PSUV)が第一回発表の二十州の知事選のうち十七州で勝利し、現状を維持しました。

 国営ラジオが伝えた同日夜の選挙評議会による第一回の結果発表によると、PSUVは、人口の多いミランダ州の知事や首都圏市長を失ったものの、新たに四州で知事を野党から奪回しました。前回二〇〇四年の一斉地方選挙では、全国二十四州のうち二十二州で与党が勝利。その後五州の知事が革命に反旗を翻し、選挙前、与党系の知事は十七人でした。

 今度の一斉地方選挙は、一九九八年のチャベス大統領の初当選以来、十四回目の全国規模の国民的審判です。革命推進派の与党が十二回連続して勝利した後、昨年の憲法改定をめぐる国民投票では、小差ながら与党が初の敗北を喫しました。

 今回はその後、初めての全国選挙で、与党の社会改革に反対する野党が全面参加。革命与党のベネズエラ共産党(PCV)や「みんなのための祖国」も今回初めて、いくつかの州で独自候補をたて、社会改革や地方自治の進め方をめぐって活発な政党間論戦が行われました。

 この結果、投票率は65・45%と、前回の45%を大きく上回り、地方選挙としてはかつてない高さになりました。

 第一回の結果発表をうけて、チャベス大統領は「人民の選択による民主主義の道が確認された。大成功であり、ベネズエラの勝利だ」と述べました。

2008年12月1日(月)「しんぶん赤旗」

ベネズエラ地方選 与党勝利
政府の社会変革に期待
課題は中産階級の説得

 【メキシコ市=島田峰隆】十一月二十三日に行われたベネズエラ地方選挙で、チャベス大統領率いる与党、統一社会主義党(PSUV)は、知事選で二十二州のうち十七州で勝利、市長選では八割の自治体を押さえました。全体として、政府が進める社会変革に多くの国民が期待を寄せていることを示しました。

 チャベス大統領の最初の当選からちょうど十年目に行われた今回の選挙は、「社会変革の行方を国民に問う機会」(同大統領)として注目されました。

 米政府や欧米メディアは、与党が五つの州と首都圏市長選で敗れたことをとらえて、「国民の反発」(ライス米国務長官)という見方を示しています。

市長選は8割

 しかし知事選得票数では、与党は約五百五十万票を獲得したのに対し、野党は約四百三十万票です。昨年十二月の新憲法案をめぐる国民投票と比べると、与党は約百二十万票の増、野党は約二十万票の減でした。

 市長選では、与党は全体の八割にあたる二百六十五自治体で勝利。前回比十以上の増で、州知事選で敗れた五州でも市長選では圧倒的な勝利を収めました。

 チャベス大統領は「国民が社会変革を進める意思を示した」と評価しました。一方で五州での敗北に触れて、「自己批判し、間違いを認める必要がある」とも強調しました。

 首都カラカス市内で活動するPSUVの幹部、カルロス・デルベッキオ氏は、本紙の電話取材に対し、「首都での最大の敗因は、中産階級への説得が不十分で、支持を固め切れなかったことだ」と語りました。

 敗北した五州は、石油や観光の資源に恵まれた比較的豊かな地域。デルベッキオ氏によると、野党側はこうした地域の中産階級を標的に、「政府は社会主義国家をつくり、車や家を取り上げる」と不安をあおりました。

 同氏は、「野党の宣伝は、ある程度の財産を持った層に恐怖感を与えることに成功した。中産階級の理解をいかに得るかが今後の課題だ」といいます。チャベス大統領も今年一月、変革の深化には「中産階級との同盟」が不可欠だと指摘していました。

模範的な選挙

 今回は、チャベス大統領の初当選以来、十三回目の国民的審判でした。投票率が65%というかつてない高さに達し、与野党とも結果を直ちに受け入れたことは、選挙を通じた変革が定着し始めたことを示しています。

 米州機構(OAS)のインスルサ事務総長は、「平和的かつ模範となる選挙だった」と高く評価しました。

2009年2月19日 (木)

安藤たい作ニュース82号「共産党区民アンケートに911通/25日から予算議会もスタート/この声届け、要求実現に全力でがんばります」

Andounews0082    「安藤たい作ニュース82号(表面)」(PDF)
   「安藤たい作ニュース82号(裏面)」(PDF)

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2009年2月16日 (月)

中東問題の基礎知識 1

 しんぶん赤旗国際欄に「中東問題 基礎知識」と題して不定期の連載がありました。便利だと思うので引用させて貰います(全部で7回、日付の古い順です)。併せて「日本共産党 知りたい聞きたい」の欄にも基礎知識に関わる記事が掲載されたので引用させて貰います。

目次

中東問題の基礎知識 1(この記事)

イスラエルの領土拡張
国家樹立めざすパレスチナ
オスロ合意とロードマップ
アラブ和平案
侵食されるヨルダン川西岸
パレスチナの内部対立
エルサレム

中東問題の基礎知識 22月25日の記事

パレスチナ紛争の発端

日本共産党 知りたい聞きたい(この記事)

イスラエルと米国 どういう関係?

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2009年1月29日(木)「しんぶん赤旗」

中東問題 基礎知識
イスラエルの領土拡張

 イスラエルは一九四八年五月十四日に建国を宣言しました。その前年の十一月、国連総会は当時英領だったパレスチナをユダヤ人の国家と、パレスチナに住んでいたアラブ人(パレスチナ人)の国家に分割する決議一八一を採択していました。ユダヤ人はこの決議に沿ってイスラエルを建国しました。

 当時パレスチナに住んでいたユダヤ人は人口の三分の一、土地所有面積は6%弱にすぎませんでしたが、国連決議でユダヤ人国家に割り与えられた領土は57%でした。

 決議採択と同時に、アラブ人とユダヤ人の衝突が各地で発生し、英国が予定より早く撤退を完了。その翌日にイスラエルが一方的に建国を宣言すると、それを認めないとする立場から周辺のアラブ諸国軍が総攻撃を加えました。これが第一次中東戦争です。

 この戦争の結果、イスラエルは分割決議でアラブ人国家領とされた土地(パレスチナ全土の約43%)の半分と、決議で国際管理都市に指定されたエルサレムの西部を占領しました。これで、イスラエル領はパレスチナ全土の77%となりました。

 イスラエルはさらに六七年の第三次中東戦争でヨルダン川西岸とガザ地区、東エルサレムを占領。パレスチナ全土を支配下に置きました。

 六七年の戦争直後に採択された国連安全保障理事会決議二四二はイスラエルに、東エルサレムを含むヨルダン川西岸とガザ地区からの撤退を求めました。

 イスラエルは二〇〇五年にガザ地区から「一方的撤退」をしましたが、同地区を陸海空から包囲しています。国際法の専門家の多くは同地が占領下にあると認定しています。

2009年1月31日(土)「しんぶん赤旗」

中東問題 基礎知識
国家樹立めざすパレスチナ

 一九四七年の国連のパレスチナ分割決議によってイスラエルは建国されましたが、パレスチナ国家はまだ樹立されていません。

 六〇年代半ばに結成されたパレスチナの解放運動の統合組織であるパレスチナ解放機構(PLO)は当初、イスラエルを認めず、パレスチナ全土に国家を樹立することを目指していました。しかし六七年の第三次中東戦争の結果、西岸とガザ地区がイスラエルに占領され、分割決議でアラブ領土とされた全地域の占領が続く中、この立場を変更することになります。

 八七年末から広がった民衆蜂起(第一次インティファーダ)が続く中の八八年+一月、パレスチナ民族評議会(PLOの議会に相当)は国連分割決議を受け入れた上での独立を宣言しました。アラファトPLO議長(当時)はその直後、第三次中東戦争による占領地からのイスラエルの撤退を求めた国連安保理決議二四二、三三八の受け入れを表明。第一次中東戦争後の停戦ラインをイスラエルとパレスチナの将来の国境とすることを受け入れました。

 これによってPLOは東エルサレムを首都とし、西岸とガザ地区を領土とするパレスチナ国家の樹立を掲げることになりました。

 一方、PLOに加わらず、第一次インティファーダの中で結成されたイスラム武装抵抗組織ハマスは、「ハマス憲章」でパレスチナ全土での国家樹立を主張。ただハマスの幹部はPLOが掲げるパレスチナ国家を事実上受け入れる姿勢も見せています。

 現在、国際的にもパレスチナ人の間でも、イスラエルとパレスチナの「二国家共存」は圧倒的な声になっています。

2009年2月3日(火)「しんぶん赤旗」

中東問題 基礎知識
オスロ合意とロードマップ

 一九九三年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で結ばれたオスロ合意は段階的和平をすすめるとして、パレスチナの暫定自治(五年間)を取り決めました。

 合意に基づき、九四年七月に暫定自治政府が発足。九六年に第一回のパレスチナ評議会(占領下の議会)選挙を実施。九九年までにガザ地区のほか、ヨルダン川西岸のラマラやナブルスなど六大都市などが自治区になりました。

 しかし、自治政府の完全な統治下に入った自治区は全体の17・2%、23・8%が「共同支配」で、残りの58%はイスラエルの支配下に置かれました。イスラエル軍は現在もなお、西岸の大部分に居座っています。

 オスロ合意で決められていたパレスチナの最終的地位に関する交渉が二〇〇〇年夏に決裂、同年九月に軍事衝突が発生し、同合意は破たんしました。

 その後、米国主導で提唱された和平案がロードマップ(行程表)です。米国と国連、欧州連合(EU)、ロシアの「カルテット(四者)」が〇三年四月に発表。三段階を経て〇五年末までにパレスチナ国家を樹立し、イスラエルとの二国家共存をはかるとしていました。

 パレスチナ側はこれを受け入れました。イスラエルは承認に当たり、パレスチナ難民の帰還権の否認やユダヤ人入植地を「論議しない」など十四項目の条件を付け、パレスチナ国家の中身を骨抜きにしました。

 ブッシュ米大統領(当時)はこの条件を受け入れ、〇四年四月のシャロン首相との会談で「六七年戦争前の境界に復帰することは非現実的」として占領地からの撤退を拒むイスラエルの立場を容認しました。

2009年2月4日(水)「しんぶん赤旗」

中東問題 基礎知識
アラブ和平案

 二十一のアラブ諸国とパレスチナ解放機構(PLO)が加盟するアラブ連盟は二〇〇二年三月の首脳会議で、中東紛争を解決する統一和平案を採択。〇七年三月の首脳会議で、これを確認しました。

 この和平案はパレスチナ国家樹立によるイスラエルとの「二国家共存」によって平和をもたらし、アラブ諸国としてもイスラエルとの敵対関係の歴史に終止符を打つことをめざしたものです。

 具体的には、①イスラエルが占領しているアラブ領土から全面撤退する②PLOが主張するパレスチナ国家の樹立を認める③国連総会決議一九四に基づきパレスチナ難民の問題を公正に解決するーことをイスラエルに求め、この三点が達成されれば、イスラエルと平和条約を結ぶというものです。

 国連決議一九四は、現在のイスラエルに住んでいた人を含め、一九四八年の第一次中東戦争で難民になったパレスチナ人の早期帰還の権利をうたい、帰還を希望しない人には財産を補償することを求めています。

 この戦争での難民は、当時のアラブ人の約75%、七十二万人(国連推計)。第三次中東戦争でも三十万人が難民化。子孫を含め、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)に登録された難民は〇六年末時点で、約四百四十五万人に達しています。

 イスラム武装抵抗組織ハマスが参加したパレスチナ国民統一政府(〇七年三月から六月)はこの和平案を掲げました。

 一方、イスラエルは和平案を「評価する」(リブニ外相)としながらも、難民と領土、エルサレムの帰属など中心的な問題で修正の必要があるとしています。

2009年2月5日(木)「しんぶん赤旗」

中東問題 基礎知識
侵食されるヨルダン川西岸

 ヨルダン川西岸は将来のパレスチナ国家の領土の主要な部分とされます。ところが、イスラエルはここに多数の入植地を建設し、分離壁を築いて、事実上、その大きな部分を併合する構えをとっています。

 ユダヤ人入植地は東エルサレムを含む西岸に約百五十カ所存在し、約四十八万五千人が居住し、イスラエル軍に守られています。入植地には数万人が住む都市もあり、エルサレムと高速道路で結ばれています。

 テロリストの侵入を防ぐとして建設中の分離壁は高さ八メートルのコンクリートの壁や有刺鉄線のフェンスなどで、総延長七百二十三キロ。すでにその約57%が完成しています。

 すべてが完成すると、パレスチナ住民の約三万五千人が分離壁とグリーンライン(一九六七年の第三次中東戦争前の境界線)に挟まれた地域に居住することを余儀なくされ、検問のある壁の門を通じてしか移動できなくなります。

 国際司法裁判所は分離壁の建設を国際法に違反するとの勧告を出しています。

 西岸にはさらに、検問所や土手、壕(ごう)など移動を制限する障害物が六百九十九カ所(パレスチナの非政府組織パレスチナ・モニター調べ)あります。

 入植地を結ぶ道路や分離壁、検問所などの障壁は住民の移動と経済活動を著しく制限しています。英紙フィナンシャル・タイムズ(〇七年六月四日付)は「西岸の40%がパレスチナ人の立ち入り禁止・制限区域になっている」と指摘し、「西岸分割が既成事実化されてしまう」と警告しています。

2009年2月10日(火)「しんぶん赤旗」

中東問題 基礎知識
パレスチナの内部対立

 パレスチナ自治政府はオスロ合意に基づいて一九九四年に発足しました。大統領に相当する自治政府議長には、九六年の初選挙でパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長が選出されました。二〇〇四年の同議長死去後、〇五年の選挙でアッバスPLO議長が選出されました。

 議会に相当するパレスチナ評議会の選出も九六年が最初。このときイスラム武装抵抗組織ハマスなどがボイコットしたため、PLO主流派ファタハが多数派となり、内閣の主要ポストを占めました。

 ハマスは〇四年十二月の地方選に参加し、過半数の自治体で勝利。〇六年一月の評議会選挙で百三十二議席中七十四議席を得ました。三月にハマス単独の内閣が発足しました。

 当時イスラエル承認を拒んでいたハマスに対し、イスラエルがパレスチナへの圧力を強化。米欧も援助を停止。その対応をめぐってファタハとハマスの対立が強まりました。これは治安権限をめぐる対立に発展、ガザ地区で銃撃戦も起きました。

 サウジアラビアの仲介で〇七年三月に統一政府が樹立され、対立は一時回避されました。統一政府はハマスのハニヤ氏が首相となり、ファタハと双方に属さない勢力も参加しました。

 しかし、〇七年六月にガザ地区でハマスとファタハの武力対立が再燃。ハマスの軍事部門が同地区を制圧しました。アッバス議長はこれを「クーデター」だと非難し、非常事態を宣言して統一政府を解散。ファイヤド統一政府財務相(ハナン・アシュラウィ氏の「第三の道」出身)を新首相に任命しました。

 一方、ハマスはハニヤ首相の内閣の正当性を主張。ガザ地区の「ハマス政権」とヨルダン川西岸の「アッバス政権」の二重権力状態が生まれました。

2009年2月11日(水)「しんぶん赤旗」

中東問題 基礎知識
エルサレム

 エルサレムはユダヤ教、イスラム教、キリスト教の三大宗教の聖地です。

 ユダヤ人にとっては、約三千年前ダビデ王が征服し、その子ソロモンが神殿を建てた地です。神殿はバビロニアによって破壊され、再建された第二神殿も紀元七〇年にローマ軍に破壊されました。東エルサレム(旧市街)にある「神殿の丘」の西側の壁は「嘆きの壁」として有名です。

 イスラム教徒にとっては、サウジアラビアのメッカ、メディナに次ぐ聖地。ユダヤ王国の神殿があったとされる広場には現在、岩のドーム、アルアクサ・モスクが建っています。イスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)は岩のドームから天馬に乗って昇天したといわれます。

 キリスト教徒にとっても聖地です。イエスが処刑され復活したといわれるゴルゴタの丘の跡には聖墳墓教会が建っています。

 一九四七年の国連パレスチナ分割決議はエルサレムを国際管理都市としました。しかし、イスラエルは四八年の第一次中東戦争でその西半分を占領。六七年の第三次中東戦争でさらに東半分(旧市街)を占領し、その併合を宣言。八〇年には東西を統一した「統一エルサレム」を恒久的な首都とする基本法を採択しました。

 国連安保理は六七年に東エルサレムの占領を非難し、同地からの撤退を要求する決議を採択。八〇年の「恒久首都」化法に対しても国連総会はこれを非難する決議を圧倒的多数で採択しました。

 国連はまた二〇〇七年にパレスチナ分割決議を確認する総会決議を採択しています。

 パレスチナ解放機構(PLO)をはじめパレスチナ人は東エルサレムを将来のパレスチナ国家の首都とすることを主張しています。

2009年1月31日(土)「しんぶん赤旗」

日本共産党 知りたい聞きたい
イスラエルと米国 どういう関係?

 〈問い〉イスラエルと米国との関係はどういう関係ですか?軍事同盟条約や米軍基地はあるのですか?武器援助はうけていると思うのですが、どういう関係になっているのですか?(福島・一読者)

 〈答え〉米国の対外政策のなかでイスラエルは特殊な地位を占めています。人口700万(うちアラブ系170万)の同国に、米国は対外的な経済・軍事援助の約5分の1以上、年間約30億ドルを与えています。1976年以来、イスラエルは常に最大の受給国であり、81年以降は全額無償援助となっています。援助金の使途を説明する必要のない唯一の国でもあり、入植地建設に使ってもおとがめなしです。

 米国とイスラエルとの間には、アラブ諸国にたいする思惑から条約にもとづく法的な同盟関係はありません。しかし、公式の同盟関係にあるどの国よりも緊密な関係にあります。米国はイスラエルの建国(48年)を真っ先に承認しましたが、今のような関係は、もっと後になってからできたものです。とくに、イスラエルがアラブ諸国に大勝した第3次中東戦争(67年)を契機に援助が急増、80年代以降、強固な軍事関係が築かれてきました。81年には「戦略協力合意」が結ばれ、88年には日本などとともに米国の「NATO以外の主要同盟国」となり、最新兵器を低価格で購入できるようになりました。イスラエルの基地への米軍常駐も、イランを口実に昨年9月からおこなわれています。

 国連でのイスラエル擁護も際立っています。たとえば2001年から昨年までに、米国が安保理で行使した拒否権10回のうち9回までがイスラエルを擁護するためのものです。

 米国がここまでイスラエルを擁護するのは、中東での米国の政治的、戦略的利益にとってイスラエルが重要だからということ、さらにイスラエルを無条件で支持する米国内のいわゆるイスラエル・ロビーの圧力も大きな要因となっています。

 米国の全政治資金の3分の1から4分の1、民主党にいたってはその政治資金の半分がこうした組織からのものだと言われています。共和党の支持基盤であるキリスト教右翼勢力が宗教的理由でイスラエルを支持するようになったことも、この傾向に拍車をかけています。イスラエル支持が米国の対外政策というだけでなく国内問題としての性格をもつようになっているのです。このロビーは単一のまとまった運動体ではありませんが、米国の外交政策をイスラエルに都合のいいものにしようとする、ユダヤ人と非ユダヤ入から成る緩やかな連合体です。一方で、こうしたやり方が米国の孤立を深め、同時にイスラエルの地位も危うくしていると厳しく批判するユダヤ人たちも増えています。(尾)

〔2009・1・31(土)〕

2009年2月15日 (日)

映画「蟹工船」

 山村聡監督、脚本、出演。

 1953年の作品ということでそれほど期待しないで見たのですが、割と見応えがありました。

 小林多喜二の原作は、学生時代に読んだのですが、当時どこかで目にしたプロレタリア文学は芸術を政治に従属させているといった評価が的外れであることを、強く感じさせてくれた最初の作品でした。そのとき1回読んだきりですが、その意味で僕個人にとって画期的な作品です。

 そんな訳で原作の内容はすっかり忘れたまま見ましたが、1927年(昭和2年)に実際に起こった事件を材料にしたものらしく、蟹工船には工場法も航海法も適用されず、それ故の人身売買的雇用関係と奴隷労働が描かれ、また当時の海軍の武力の保証の下にソ連の領海を敢えて侵犯しての操業が描かれています。このような理不尽な労働と、それと結託してそれを擁護する大日本帝国海軍の横暴を強く告発する姿勢の脚本でした。いい作品だと思いました。

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映画「卒業」

 マイク・ニコルズ監督。

 1967年の作品ですが、僕は1970年代前半の高校時代に見ました。当時、内容もさることながら、ともかく音楽に感激して、この手の音楽はそれほど趣味でなかったにも拘わらず、サウンドトラックのレコードを映画を見た帰りに買った記憶があります。そういう思い出の作品なので、テレビでやっていたのを久々に見ました。ネットを見ると世代や人によって色んな感想があるようですが、僕には、大人へと、子供を卒業して行く様を描いた青春もので、悪くないと思えました。

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映画「ある子供」

 ジャン=ピエール & リュック・ダルデンヌ監督。

 働きもせず盗みなどで生活している20歳の男が、自分の18歳の恋人との間にできた子供を、お金欲しさにさしたる考えもなく人身売買組織に売ってしまうが、恋人の激しいショックを目の当たりにすることを切っ掛けに人間らしい気持ちに目覚めていく物語。

 ダルデンヌ監督の作品の中では、一番、救いや未来への希望を明らかにして見せてくれる作品でした。

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映画「ロゼッタ」

 ジャン=ピエール & リュック・ダルデンヌ監督。

 アルコールと男への依存を断ち切れず、生活の意志も能力も失ってしまった母親と2人暮らしの少女ロゼッタは、貧困故にキャンプ場に停めたキャンピングカーを借りて生活する身だが、真っ当な生活、従って真っ当な仕事を求めて這いずり回り、その中で人と巡り会い、もがいて行く、その姿を描いた作品。

 出会いの中にささやかな癒しや希望を得ますが、自らの仕事欲しさにその出会いを裏切りもします。しかし、そうでありながら罪の意識も抱かざるを得ず、ほんのちらりと希望も垣間見せながら映画は終わります。

 安易な解決や希望に逃げない監督の冷徹な目が感じられて、とても良い作品でした。

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映画「イゴールの約束」

 ジャン=ピエール & リュック・ダルデンヌ監督。

 不法移民の斡旋を生業とする父親に従ってそれを手伝う少年イゴールが、ブルキナファソ出身の移民の事故に遭遇した際、父親の命に従って治療しないまま死なせてしまい、その死んだ移民の妻にも嘘をつき続けるが、その移民が亡くなる直前に交わした妻子を守るという約束を忘れられず、ついには父親の命に反抗してその妻子を守り始め、最後には自分達が死なせたことを告白してしまう物語。

 屁理屈で自分を納得させながら犯罪的行為を繰り返す父親に、当然のように従属していた少年が、人の死を切っ掛けに逡巡・葛藤を経てそこからの脱却に踏み出しますが、踏み出したからといって単純に解決や希望が与えられる訳ではない、そういう人と社会の姿をきちんと捉えようとしていて、良い作品でした。

 ただ、1度見ただけの感想としては、「息子のまなざし」や「ロゼッタ」の方がもっと良かったかな。

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映画「息子のまなざし」

 ジャン=ピエール & リュック・ダルデンヌ監督。脚本も両氏。

 車のカー・ラジオを盗もうとした11歳の少年が、幼い男の子の発見から逃れるためにその子を死に至らしめてしまい(日本の刑法に当て嵌めれば、たぶん強盗致死になり強盗殺人とはならないようなケース)、5年間少年院に収容された後、職業訓練校に入校し木工のクラスに籍を置くことになるが、その教官が実は死に至らしめた男の子の父親であった所から展開される物語。主人公はこの教官オリヴィエで、オリヴィエ・グルメ氏が演じます。実力を感じさせる役者さんです。

 この監督の作品は初めてですが、撮り方が個性的で、ハンディカメラの長回し、しかも主人公の肩越しなど極めて近い位置から撮られ、台詞は少なく、音楽は全くありません。上述した事情も最初はなかなか見えてこず、観客はあれこれ想像しながら辛抱強く見る以外ありません。これらの個性が一部の不評を買うのでしょう。

 しかし、僕には、監督が安易な解決や解釈を拒み、飽くまでも登場人物達が何を感じ、何を思い、何を考えるのかをリアルに捉えることを求めているが故の撮り方だと思えました。実際、成功しているのだろうと思います。

 ただ邦題の「息子のまなざし」というのはなぜこうしたのかピンと来ません。原題「LE FILS」通り単に「息子」という方がいい様に思いました。

 事柄の真実に迫ろうとする本物の監督にまた出会えた気がします。この作品自体また鑑賞したいし、他の作品も見たいと思います。

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映画「懺悔」

 テンギズ・アブラゼ監督。

 グルジア映画です。昨年末に見ました。寓話という描き方はあまり好みでないので、それほど期待しないで見ましたし、実際少々退屈もしたのですが、でも味わいのある作品だと感じました。役者のアフタンディル・マハラゼ氏が素晴らしいと思いました。

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2009年2月 1日 (日)

映画「トゥヤーの結婚」

 ワン・チュアンアン監督。

 生活の中での事故により下半身不随となった夫と2人の子供を養う、中国は内モンゴル自治区に住む女性が、自らもそれに近い状態に陥ったため、家族4人が生きていく労働力を得るべく、愛する夫と離婚して新たに結婚するという道を選ぶ中で展開される物語。

 本人と社会の貧しさの中で、主人公トゥヤーが家族への愛を貫こうとして引き受けてしまう苦難を描いています。以前、中国南部の奥地で今も残るある少数民族の一妻多夫制のドキュメンタリーを見ましたが、それも貧しさ故の制度でした。1つの家族を1人の夫の労働力では支えられないが故の一妻多夫制なのです。本作もこれとは事情が異なりますが、類似の問題だと思います。

 男女の愛情、その結果としての結婚と家族は、当然生きること、従って生活することを前提にしますから、極端に貧しい国と地域ではこういうことが問題になりますし、ここまでの貧しさは基本的にないといってよいであろう日本でも、別の形でこの愛情と生活が問題になるのだと思います。そういう意味では他人事ではありません。

 こういう苦難の中で、トゥヤーとその家族、また幾人かの求婚者達の人柄が露わになり試されて行きます。落ち着くべき所に事態は進んで行きますが、それは一直線ではないし、ゆっくりとでしかありません。しかも苦難そのものが解決する訳でもありません。人間は完全なものではないからでもありますが、貧しさは個人の努力によって解決できるものではないからだと思います。

 苦難を真正面から描くと共に、その中に垣間見える様々な形のささやかな希望をも描き、とても良い作品だと思いました。

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映画「博士の愛した数式」

 小泉堯史監督。

 これも同じ監督の「阿弥陀堂だより」同様テレビで偶然見たのですが(2007年6月8日の記事)、とても素晴らしい作品でした。人の安っぽくはない優しい心持ちが沁みるようなお話で、何度も自然な涙が目に滲みました。原作も読んでみたいですね。

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