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2009年2月25日 (水)

中東問題の基礎知識 2

 不定期連載の続きです。

目次

中東問題の基礎知識 12月16日の記事

イスラエルの領土拡張
国家樹立めざすパレスチナ
オスロ合意とロードマップ
アラブ和平案
侵食されるヨルダン川西岸
パレスチナの内部対立
エルサレム

中東問題の基礎知識 2(この記事)

パレスチナ紛争の発端

日本共産党 知りたい聞きたい2月16日の記事

イスラエルと米国 どういう関係?

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2009年2月24日(火)「しんぶん赤旗」

中東問題 基礎知識
パレスチナ紛争の発端

 パレスチナ紛争の発端は、二十世紀初めに中東地域への進出を狙った英国がユダヤ人、アラブ人双方にパレスチナを領土とする独立国家建設を約束したことにあります。

 オスマン帝国のパレスチナではアラブ人とユダヤ人が共存していました。十九世紀末、欧州各国でのユダヤ人迫害を背景に、パレスチナに「民族郷土の創建」をめざすシオニズム(シオンはエルサレムをさす)の運動が起こり、欧州に住むユダヤ人のパレスチナへの移住が急増します。

 英国は第一次世界大戦(一九一四-一八年)でオスマン帝国がドイツ側について参戦すると、後方かく乱のためアラブ人の協力を得、他方で米国や英国などのユダヤ人財閥からの金融支援を得ようとしました。

 このため、英国は一九一五年にアラブ人の封建的支配層に「将来の独立を許す」と約束する一方、一七年にはシオニスト運動の指導者たちにも「民族郷土創設」への支持を約束しました。

 ところが英国は一六年にフランスとの秘密協定でオスマン帝国の分割を取り決め、第一次大戦後、パレスチナを英国の植民地にしてしまいました。英国の「三枚舌」外交と呼ばれるものです。

 ユダヤ人のパレスチナへの移住はナチス・ドイツによるユダヤ人弾圧で一気に増大。四五年には六十万人に達しました。シオニズムは、パレスチナ全域にユダヤ人国家をつくることをめざし、パレスチナ・アラブ人の国家を認めない立場でした。アラブ諸国の支配層もユダヤ人国家を認めていませんでした。

 第二次世界大戦後の四七年十一月、国連総会は二つの民族の自決権を認めるパレスチナ分割決議を採択しました。しかし、当事者間の合意ができないまま、四八年五月にイスラエル建国が宣言され、アラブ諸国はイスラエル建国を認めないとしてイスラエルを総攻撃し、第一次中東戦争が発生しました。

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