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2007年11月11日 (日)

沖縄戦裁判、大江健三郎氏が証言「軍の構造の中で命令」

 この裁判の中で、大江氏は「(軍の縦の構造の中で)命令はあったと考えている」と証言しました。

 他方、この裁判が、原告本人の権利保護のためでなく、裁判の支援団体の意向を受けた、支援団体による政治利用ための裁判であることがますます明らかになってきました。

 この侵略戦争を正当化したがっている人たちが、沖縄の人たちや、大江氏、岩波書店という被告だけでなく、90才にもなる原告自身にも恥をかかせ、誰にとっても有害無益な者達であることが明らかになってきています。

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 しんぶん赤旗の記事を引用しておきます。

2007年11月10日(土)「しんぶん赤旗」

「集団自決」
軍の構造の中で命令
沖縄戦裁判 大江健三郎さんが証言

 沖縄戦の「集団自決」で、旧日本軍の命令を否定する元軍人らが、軍関与を指摘した大江健三郎氏の著書『沖縄ノート』などで名誉を傷つけられたとし、同氏と出版元の岩波書店を相手に出版差し止めと賠償を求めた裁判の口頭弁論が九日、大阪地裁(深見敏正裁判長)であり、原告・被告双方への尋問が行われました。大江氏は「(軍の縦の構造の中で)命令はあったと考えている」と証言。原告の元隊長が『沖縄ノート』を読まずに提訴したことも明らかになりました。

 大江氏は、「自決命令は隊長個人の資質や選択によるものではなく、日本軍―(沖縄駐留の)三二軍―守備隊という縦の構造の力が島民に強制した」と主張。著書でもその構造を問題にしたので、あえて隊長の個人名は書かなかったとのべました。手りゅう弾を渡されたという体験は自身も何度も聞いているとし、「(新たな証言も発表されて)命令があったという確信は強くなっている」と語りました。

 原告で元座間味島守備隊長の梅沢裕氏(90)は、自決命令は出していないと主張。自分には「責任はない」とのべました。

 多くの住民が「自決するように」と手りゅう弾を渡されたことについては「知らない」としつつ、隊長の許可なしに手りゅう弾を渡すことはありえないと認めました。『沖縄ノート』を読んだのは「(提訴後の)去年」だと証言。「名誉を傷つけた」と訴えた本を読んでいなかったことが明らかになりました。

 原告で元渡嘉敷島守備隊長(故人)の弟、赤松秀一氏(74)は、兄に事実の確認をしたことはないと証言。人に勧められて裁判を起こしたことを明らかにしました。

 文部科学省は教科書検定で、梅沢氏らの主張を根拠の一つに軍強制の記述を削除させています。

大江健三郎氏の陳述内容(要旨)

 大阪地裁で九日開かれた沖縄戦の集団自決に関する本の記述をめぐる訴訟で、出廷した著者の大江健三郎氏の主な陳述内容は以下の通り。

―軍命令があったと考えた根拠は

 (沖縄戦生存者の証言を集めた)「鉄の暴風」の執筆者などに話を聞き、見せてもらった資料を基に考え、軍の命令という結論に達した。

―(著書の)「沖縄ノート」で守備隊長の名前を記していない理由は

 集団自決は、日本軍-(沖縄駐留の)第三二軍-守備隊へとつながる縦の構造の力が、住民に強制したと考えた。個人の資質、選択でなく、もっと大きな日本の軍隊が行ったと考えたため、個人名は出したくないので、注意深く扱った。

 『軍官民、共生共死』という三二軍の方針があり、その上に二つの島の守備隊の存在と活動があった。原因はそこにある。当時、捕虜になるなという教えは常識のようなことだった。

―手りゅう弾を渡すのは、ある種の慈悲と考える余地はないか

 考えられない。

―自ら殉じた、清らかだという見方もあるが

 自決は悲惨なこと。美しい、清らかなことではなく、事実をゆがめている。

―命令説を否定する文献、証言の存在は

 知っている。熱烈に隊長の弁護を考えた、ニュートラルな証言とは考えられない。この証言だけ突出している。

―家永三郎氏(故人)も著書から削除している。こうした知識人、専門家の意見に配慮は

 取り除いたことは今も疑問に思っている。配慮の必要は感じていない。

―現在でも命令されたと考えるか

 命令されたと考えている。戦争に関する書物や証言が発表され、確信は強くなっている。軍の強制は事実で、記述を訂正する必要を認めない。

2007年11月10日(土)「しんぶん赤旗」

検定意見撤回へ頑張る
沖縄戦裁判大江さん支援の集会
大阪

 沖縄戦「集団自決」に日本軍の関与はなかったとして元日本軍隊長らが訴えている裁判。軍関与を指摘した『沖縄ノート』(岩波書店)の著者、大江健三郎氏が本人尋問のため大阪地裁に出廷した九日の夜、大江氏の支援団体が大阪市内で報告集会を開きました。約二百人が参加しました。

 大江氏・岩波書店側の弁護団、秋山幹男弁護士は、日本軍が住民も一緒に死ぬ方針で手りゅう弾を渡していたと大江氏が堂々と証言したことを報告。「裁判は楽観できませんが、軍の強制はなかったとする教科書検定を追い込んでいきたい」と語りました。

 山口剛史琉球大学准教授は、歴史をゆがめる検定意見の撤回を求める沖縄県民の運動と全国に広がる連帯を紹介し「検定意見を撤回させるため政府・文科省への働きかけを強めましょう」と力説。

 教科書執筆者で歴史教育者協議会委員長の石山久男氏は「政府・文科省を追いつめることと裁判を一体でがんばりたい」とのべました。

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