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2007年10月27日 (土)

沖縄戦「集団自決」で軍の命令を否定する皆本義博氏

 この人、朴正熙氏との接点もあったとは知りませんでした。今朝のしんぶん赤旗の記事と共にこの人に関わる他の記事を引用しておきます。

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2007年10月27日(土)「しんぶん赤旗」

まど
「陸士の同期」

 韓国政府が、韓国中央情報部(KCIA)が主導した組織ぐるみの権力犯罪だったと断定した「金大中事件」。このなかで「直接指示した可能性とともに、最小限でも黙示的に承認していたとみるべきだ」として名指しされたのが、当時の朴正煕大統領。朴氏は軍事クーデターで独裁政権を樹立。KCIAを創設し、民主化運動を弾圧してきた人物です。経歴をたどると旧日本軍の陸軍士官学校の五十七期卒業。

 ○…朴氏を「陸士の同期」と誇らしげに語っている人がいます。太平洋戦争の沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」がおきた渡嘉敷島に駐屯していた陸軍海上挺進第三戦隊の皆本義博元中隊長です。皆本氏は、「集団自決」をめぐる軍命の存在を指摘する『沖縄ノート』の著者、大江健三郎氏と岩波書店にたいし「名誉を傷つけられた」として損害賠償を求める裁判を支援し、自らも原告側証言に立ちました。

 ○…朴氏は軍事独裁政権で韓国民衆を弾圧、日本軍は沖縄で住民を「スパイ」扱いし虐殺、「集団死」に追いこみました。いずれも「軍事優先」の結果です。両氏が学んだ陸士の校長は牛島満中将。南京虐殺をもたらした南京攻略を指揮し、住民を巻き込んだ沖縄戦では最高司令官でした。

 ○…韓国では朴氏らの犯罪を韓国政府が断罪しました。「集団自決」での軍命・強制の記述を削除させた文科省が、高校教科書検定意見の唯一の"根拠"にしたのが皆本氏らの裁判です。日本政府の歴史認識が改めて間われています。(眞)

2007年7月28日(土)「しんぶん赤旗」

全員自決の訓示否定せず
沖縄戦「集団自決」裁判 元軍人ら証言
大阪地裁

 沖縄戦で、多数の住民が犠牲になった「集団自決」で、旧日本軍の命令・強制を否定する旧軍人らが、軍関与を指摘した『沖縄ノート』の著者、大江健三郎氏と出版元の岩波書店を「名誉棄損」したとして損害賠償を求めている裁判の証人調べが二十七日、大阪地裁で行われました。

 証人として出廷したのは、原告側から「集団自決」が起きた沖縄県渡嘉敷村に駐屯していた陸軍海上挺進(ていしん)第三戦隊(赤松嘉次隊長)の部下、皆本義博元中隊長と知念朝睦元渡嘉敷島守備隊副官、岩波書店側から座間味村での「集団自決」語り部の母をもつ沖縄女性史研究家の宮城晴美さん(『母の遺したもの』著者)の三人。

 皆本氏は原告代理人の主尋問にたいし、赤松戦隊長とは親しく、戦隊と島の住民とも良好な関係にあり、「集団自決」についても、切迫した戦況のもとで「軍命令など出す余裕はなかった」と全面否定しました。

 しかし被告代理人の反対尋問では「『集団自決』の隊長命令は聞いてない」としながら、「米軍との戦闘が中心で赤松戦隊長とは別行動だった」と戦隊長の動向を知る立場になかったことを証言。太平洋戦争開戦を記念する「大詔奉載日」の儀式で「米軍が上陸したときには、全員が自決する」との訓示があったのではないかとの質問に「赤松戦隊長あるいは代理が参加し、(訓示は)あったと思う」と否定しませんでした。

 宮城氏は著書で、隊長命令がなかったとの記述について、「不十分だった。その後の住民の証言などから軍の関与についてより検証した内容に改定版にむけて作業している」と語りました。

 口頭弁論に先立ち、沖縄から平和教育をすすめる会など三団体は、九月十日に予定されている沖縄での出張法廷の公開と安仁屋政昭氏を証人採用するよう要請しました。

2007年7月10日(火)「しんぶん赤旗」

社会リポート
沖縄「集団自決」 軍関与否定の元軍人
「靖国」派学者と接点
「国民保護協力会」会長の顔も

 「軍隊は国民を守るのか」――こんな問いかけが今、あらためて大問題になっています。太平洋戦争の末期、沖縄で起きた住民の「集団自決」をめぐり、文部科学省は高校教科書検定で「日本軍に強制された」などの記述をすべて削除した問題。同省がその根拠にする、「軍命令はなかった」と裁判で主張する関係者から見えてくるのは――。(山本眞直)

 三百二十九人が「集団自決」した沖縄・渡嘉敷島の北部山中。「集団自決跡地」の碑後方の山林につづく細い山道を下った沢一帯が現場です。ガイドの女性が言いました。

 「島のおじぃ、おばぁから軍が事前に手榴(しゅりゅう)弾を配ったことをたくさん聞いています。軍命を否定する勢力は、憲法を変えて自衛隊を軍にし、アメリカと一緒に海外で戦争をすることを考えている。そのためには軍が県民を『自決』させたという歴史はじゃまなんですね」

軍命令あった

 日本軍の陣地近くで、事前に渡された手榴弾を投げたものの不発、母親と妹とともに命拾いをしたという小嶺正雄さん(77)は、自ら掘った壕(ごう)跡で言いました。「日本軍がいない島で(自決は)なかった。住民に手榴弾を渡したのだから(命令は)あったさ」

 「軍命令はなかった」という元軍人と、日本の侵略戦争を「正しい戦争」とする「靖国」派の自由主義史観研究会代表の藤岡信勝氏(新しい歴史教科書をつくる会会長)の接点がありました。

 二〇〇五年三月三十一日、東京都千代田区の法政大学に近いアルカディア市ケ谷(旧私学会館)の一室。藤岡氏と向き合っていたのは、皆本義博・元陸軍海上挺身(ていしん)第三戦隊中隊長(陸士五七期、中尉)。

 皆本氏の上官は、赤松嘉次隊長(大尉)。赤松隊は守備隊として渡嘉敷島に駐屯し、米軍が上陸した直後の一九四五年三月二十八日には軍が手渡した手榴弾などで住民が「集団自決」しています。

 皆本氏は、一九四五年二月の沖縄について『特攻 最後の証言』(アスペクト社)でこう語っています。日本軍が全権を握る「戦時行政に切り替えられた」ことをあげ、「軍官民、実に統制が取れていた」と。しかし「集団自決」での軍関与を全面否定します。

 「(軍)命令を下す理由もないし、下せる状況にもありませんでした。むろん、村民の方が集団で自決したのは事実です。断じて軍は命令などしていない」

 藤岡代表と皆本氏との“出会い”は、「集団自決」から「日本軍の強制」を消し去る策動の序章でした。それから二カ月後の〇五年五月、藤岡代表たちは「沖縄プロジェクト」を立ち上げます。

 「沖縄戦集団自決事件の真相を知る」として、渡嘉敷島などでの現地調査に着手。赤松隊長らの「軍命はなかった」とのキャンペーンを開始。

 同年八月、同隊長の遺族らは、軍命の存在を指摘した大江健三郎氏の『沖縄ノート』(岩波書店)を名誉棄損として大阪地裁に提訴しました。

 文科省は、同訴訟での原告側主張をとりあげ、軍の「命令」「強制」記述の削除を指示。

 沖縄県民はこの「削除」を「軍強制は多くの県民の証言で明らか」と強く反発。沖縄県議会をはじめ県下の全市町村議会が削除反対の意見書をあげています。

自民党役員も

 「集団自決」訴訟の公判(二十七日)で原告側証人として立つ皆本氏にはもう一つの顔が。NPO法人「埼玉県国民保護協力会」会長。〇五年九月に設立しました。

 国民保護――。イラク戦争などアメリカの先制攻撃戦争に日本が「参戦」、国内で米軍や自衛隊の軍事行動に自治体や国民を動員させる有事法制の一つです。埼玉での協力会は自衛隊OBの日本郷友連盟や隊友会が中心になって全国で最初に発足させたものです。

 「国民保護と集団自決」――皆本氏を取材すると、「国民保護協力会の会長であることは伏せない。自民党の役員をし防衛省にも関係しているが、対極にある『赤旗』に話すことはない」

 軍が国民を守らずに「自決」に追いやった沖縄戦の歴史は、「新たな軍」にとって、目の上のたんこぶなのです。

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