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2007年9月 1日 (土)

映画「ひめゆり」

 体験者の証言と映像だけで綴られ、訴える力の強いドキュメンタリーでした。事実を感性面でも認識でき、見たこちらの気持ちに深く強く刻み込まれます。

 ひめゆり(学園)とは、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校を合わせた通称。アメリカ軍が沖縄本島に艦砲射撃・空爆を開始したのは、1945年3月23日ですが、その日このひめゆり学園の生徒222人が、教師18人と共に、沖縄陸軍病院に動員され、これをひめゆり学徒隊と言うそうです。このうち、生徒123人、教師13人が亡くなりました。この他にこの学徒隊には動員されず亡くなったひめゆり学園の生徒・教師が、それぞれ88人、3人いますから、沖縄戦でなくなったひめゆり学園の生徒・教師は、それぞれ合計211人、16人ということになります。

 映画は、「第一章 戦場動員と看護活動」、「第二章 南部撤退から解散命令」、「第三章 死の彷徨」の3章から構成されます。

 5月29日には、日本軍司令部のある首里が陥落しますから、米軍はこれで終わったと思ったそうですが、日本軍の司令官は、アメリカ軍の日本本土上陸を遅らせる時間稼ぎのために、「最後の一兵まで戦う」という方針を立て、沖縄本島南部へと撤退します。ひめゆり学徒隊の人たちも当然その方針に従わざるを得ません。

 しかし、日本軍は当然アメリカ軍に追い詰められていきます。その中、6月18日には、日本軍によって学徒隊が動員された陸軍病院の解散命令が出され、「これからは自由だ、どこに行ってもよろしい、この壕を出て行け」と言われて、学徒隊の人たちは、アメリカ軍の包囲する中、日本軍によって、立てこもっていた壕から次々と追い出されます。

 学徒隊が動員されてそれまでの3ヶ月近くの内に亡くなった学徒隊の人たちは、19名ですが、この解散命令後数日で100名以上の学徒隊の人たちが亡くなります。

 このことからも、この戦争が、あくまでも当時の日本の支配層(その頂点は当時の天皇の裕仁氏)の利益のための政策の一環として行われたものであり、日本国民の命と安全のために行われたものでは決してない、ということが容易に理解できます。

 この映画では、学徒隊に動員されて生き残った人たちが、こういう中で自分が見聞きしたこと、実体験したことを具体的に語ってくれます。まるで近所付き合いの中で交わされる日常会話のように次々と率直に語ってくれるので、見ている自分の気持ちの中に深く刻み込まれていきます。

 昨日、「出口のない海」の感想で、「戦争にまつわる事実について、原作者、脚本家、監督がどう思ったか、考えたかを描くのも1つのやり方かもしれない」と書きましたが、やはり正確な事実ほど重いものはないので、「ひめゆり」は貴重な映画です。

 監督の柴田昌平氏のブログはこちら

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