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2007年9月21日 (金)

乳児死亡率ゼロを目指して乳児医療費無料化を初めて実現した深沢晟雄―これが政治だ、これが地方自治体の役割だ

 「国民健康保険法に違反するかもしれないが、憲法違反にはなりませんよ。憲法が保障している健康で文化的な生活すらできない国民がたくさんいる。訴えるならそれも結構、最高裁まで争います。本来国民の生命を守るのは国の責任です。しかし国がやらないのなら私がやりましょう。国は後からついてきますよ。」

 これは、日本で初めて乳児医療費無料化を実現した、岩手県沢内村(現在は、西和賀町沢内)の当時の村長・深沢晟雄(ふかさわまさお)さんが、その導入を法律違反だとする岩手県の意見に対して反論した言葉だそうです。

 乳児に限らず子ども医療費の無料化については、今年のいっせい地方選挙に関わり、何度かこのブログでも取り上げました(4月18日の「子ども医療費無料化、半世紀近くにわたる今日への脈々とした流れ」を始め、こちらのページの一連の記事を参照してください)。一昨日のNHKの「その時歴史が動いた」はこの深沢晟雄さんを取り上げていて感動的でした。

 深沢さんは1905年生まれですが、東北大学を卒業後、沢内村を出て、台湾や当時の満州で実業家として成功を収めました。戦後1946年に帰郷します。しかし沢内村は戦前と変わらず貧しいままでした。それを何とかしたいと考えていた深沢さんは、女性医師の斉藤アヤさん(医師で後の日本共産党岩手県委員長の斉藤龍雄さんの妻)から村の衛生環境の悪さを聞きます。「病気になってもただ死んでいくより外にない。極めて悲惨な村であった。」というのが深沢さんの感想です。

 1956年(経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれた年、僕の生まれた年でもあります)の乳児死亡率(その年生まれた赤ちゃん1,000人に対して1歳未満で亡くなる割合)は、東京都が25.7人で最小、岩手県が日本最大で66.4人、沢内村はそれよりも悪く69.6人でした(今は日本では3.0人を切っているそうです)。

 1957年、深沢さんは「村の赤ちゃんの命を救いたい」という思いを胸に村長に就任します。

 深沢さんはまず、雪で交通がままならない冬(沢内村は岩手県でも有数の豪雪地帯で4m積もることもあった)でも病気の赤ちゃんを病院に連れて行けるようにと、ブルドーザーを手に入れて雪かきをすることを考えます。しかし、当時は岩手県にも2台しかない代物で、村人から「村長はホラ吹きだ」とまで言われます。しかし、この熱意を聞きつけた建設機械会社が最新のブルドーザーを貸すと申し出て実現します。「やればできる」と村人の心にも希望が湧いてきます。

 同時に深沢さんは定期的な乳児検診を始めました。

 その中で赤ちゃんの発育不良が浮き彫りになりました。くる病(骨が軟化する病気で背骨や足が曲がり歩行が不安定になる)が多いことも分かりました。原因の1つは赤ちゃんが日に当たる時間が少ないこと。農作業や家事で忙しく赤ちゃんは長い時間屋内に放置されていたからです。

 また、当時の沢内病院では医師が頻繁に入れ替わり、薬物中毒の医師までいました。

 深沢さんは母校の東北大学に9ヶ月通い詰め信頼できる医師を確保します。

 他方、母親の意識改革にも取り組みます。保健婦たちが中心となって、日光浴や離乳の時期が大切であることを教えていきます。それだけでは足りず、当時育児の実権を握っていた姑の手助けを得るため、虚弱児を立派に育てた姑に「おばあちゃん努力賞」を贈ることにしました。

 これらの努力の結果、沢内村の乳児死亡率は、1959年には26.3人と激減します。

 1960年、沢内病院に加藤邦夫医師が着任します。加藤さんは深沢さんに、病院は病気の予防活動にも協力すべきだと提案します。当時病気の治療は病院が行い、予防は保健婦を中心に行政が行っていたのですが、深沢さんはそれまで役場にいた保健婦さんを病院に常駐させるようにします。

 しかし、これで障害が無くなった訳ではありません。村では病院にかかることは財産をなくす大きな出費だと考えられて「かまど返し」と呼ばれるほどだったのです。

 そこで深沢さんは医療費の無料化という結論を出します。1959年から国民健康保険法が施行されていましたが、そこには治療にかかる費用の5割を患者が一部負担金として払うことが定められていました。深沢さんはこれを村が肩代わりすることを考えたのです。

 しかしまず岩手県から、それは法律違反だとして待ったが掛かります。それに対して深沢さんは冒頭のように述べて反論し一蹴します。

 さらに、沢内村にはこの法律に則った条例があったため、村議会の抵抗も受けます。

 これに対して、深沢さんは「病院で行われるのは保健活動の一環であり条例違反にならない。」と述べて、病院で行うのは病気予防の保健活動であり国民健康保険法に抵触しないと主張しました。しかしそれでは収まらずさらに抵抗する議会に対して、「確かに条例違反の疑いはある」と答えた後、それに続けて「保健行政というものは生命が問題なだけに、非常な重点を払わなければいけない。住民諸君の健康には我々が責任を持つ。諸君はこれにあまり心配しなくてもいいんだというふうな、そこまで持って行くことが福祉国家の当然の帰結でなくてはならない。」と述べて議会の抵抗を抑えます。

 こうして1961年4月、日本で初めて乳児医療費の無料化が実現されました。「毎月の末日に於て満一才未満のもの」「一部負担金の支払を要しない」と条例に定められたのです。

 こうして1962年には1人の乳児も死亡させることなく、1963年1月1日午前0時、乳児死亡率ゼロを達成することになったのです。

 その後これらの制度が岩手県の他の町村や全国に学ばれ、1964年には岩手県も乳児医療費無料化を導入します。

 この番組を見て、沢内さんのどの言葉も重く印象に残ります。その中でも最も噛み締めたいと思ったのが冒頭の言葉です。そこで言われていることは以下の3点だと思います。

 (1) 悪い法律があっても、憲法こそを政治の拠り所とすべきである。

 (2) 国民の生命を守るのは国の責任である。

 (3) 国が責任を果たさなくとも地方自治体の責任で果たさなければならない。

 政治の意義、地方自治体の役割が端的に語られていると思います。

 さらに、1965年にIBC岩手放送で流された「年頭の挨拶」にある以下の言葉も噛み締めたいものだと思います。

 「ややも致しますると、現実的な生活の厳しさから、命あっての物種ではなく物種あっての命というふうに考えやすいのでありますが、物が命よりも大事だということになりましたのでは、これは極めて危険な、恐ろしい考え方だと申すほかございません。このすがすがしい希望の躍動する新春にあたりまして、みなさまとともに、あらためて政治の中心が生命の尊厳尊重にあるということを再確認いたしたいのでございます。」

 NHKに番組についての解説のページがあります。

http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2007_09.html#03

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コメント

 この記事でしか沢内村の深沢さんについては知りませんが、すばらしい政治家だなと思います。国が国民の生命を守ろうとしなくても、地方自治体が必死に守ろうとし、そして現実のものにしてしまったのですから。国に国民の生命を守る責任があること、それがなされないのなら、国の施策を待たずに自治体が動く責任があることを堂々と訴えていきましょう。

 contackさん、こんにちは。

 そうです、国や地方自治体の役割、堂々と訴えていきましょう。

 安藤たい作君はこの訴えがなかなかうまいんですよ。一緒に選挙活動をやっていて僕自身何度も思いましたし、党員、読者、支持者の皆さんからも何度も評判を聞きました。

 沢内村の深沢晟雄さんは、4月16日付のしんぶん赤旗の潮流欄で読んで初めて知ったのですが、その人がNHKの番組の主題になったのでびっくりしたんです。NHKの「その時歴史は動いた」はたまに見ているのですが、「深沢晟雄」と言われても最初は思い出せなかったんです。ところが「沢内村」でピンと来て、自分で書いた4月18日の記事を読み直して「あ、この人だ」と驚いたという訳です。この番組で詳しく知ることができて、本当に感動しました。

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 録画しておいた、9月19日放送の「そのとき歴史が動いた」の299回「赤ちゃんを死なせない」を見たんですが。  久しぶりにテレビ見て脳内テンションが上がりました。  タイトルから、神戸のパルモア病院の話なのかと思いましたが(昔、プロジェクトXで見たのよ)戦後の東北の話だったんですね。  主人公は、深沢晟雄(まさお)さん。  岩手県の山奥の深沢村というところの村長さんだった方です。  この..... [続きを読む]

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