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2007年8月 7日 (火)

宮本顕治氏の死に思うこと―正確な理論の人生における核心的重要性

 昨日、宮本顕治氏の共産党葬が青山葬儀場で営まれ1,200人が参列したそうです。各紙電子版が伝えていますが、朝日だけは「ただ、参院選では比例3議席の厳しい結果に終わり、党勢回復の道筋は見えてこず、識者からは宮本路線の抜本的な転換が必要だとの指摘も出ている」と的外れなコメントを付しています。僕の印象では、共産党に対する評価のこの手の的外れ振りは一貫して朝日が一番ひどい。

 「宮本路線」というものを想定してそれにこだわって敢えて述べるなら、共産党に必要なのはその「抜本的な転換」などではなく、むしろ「抜本的な強化」とでも言うべきでしょう。

 宮本氏と言えば、その戦前の不屈の闘い振りが一番に語られます。日本史にとって、なかんずく戦後の自由民主主義国家・平和国家としての日本の実現にとって、日本人の取った最も重要な行動だからです。

 ただ、僕個人は、50年問題の解決の先頭に立った宮本さんが最も印象に残っています。

 50年問題は、ソ連のスターリンが中国の毛沢東らと組んで、日本共産党に武装闘争路線を強要し、当時の有力党員だった徳田・野坂といった面々がそれに追従して激しい分派活動をやったというものですが、その攻撃の矢面に立たされた宮本さんは、屈することなく正確な認識・理論を持ち続け、スターリン・毛沢東言いなりの分派を克服し、1958年の規約、1961年の綱領へと結実させていきました。

 この規約と綱領に刻まれた、民主集中制、自主独立の姿勢、段階的変革論、多数者革命論は、日本の将来を多少なりとも真面目に考えている日本人にとっては、本人がどれほど意識しているかは別としても、もはや当たり前のことになっていると言っても過言ではないと思います。

 世の中には様々な認識と理論があり、上述の朝日の記事もその1つですが、真実と真理がいつでもどこでも多数派といったような甘いものではありません。真実と真理は、それをたまたまいち早く認識した個人個人が、自分の心の中で、また自分の生きる社会の中で、真実・真理の認識を妨げる流れ・行動を一歩一歩着実に克服して行ってこそ、初めて実現するのだと思います。日本国憲法がそうであり、2004年にバージョンアップされた日本共産党の綱領がそうだと思います。

 人の人生にとって、正確な理論は、核心的に重要なのだと思います。

 宮本顕治さんのご冥福を祈ります。

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 asaodaiさんの「My Last Fight」の以下の記事が圧巻です。是非お読みください。

7月27日付「すべての宮本顕治論のために」

 宮本さん死去翌日のしんぶん赤旗の記事と、的外れの朝日の社説を引用しておきます。

2007年7月19日(木)「しんぶん赤旗」

日本共産党元中央委員会議長
宮本顕治さん死去

 日本共産党中央委員会名誉役員で元中央委員会議長の宮本顕治(みやもと・けんじ)氏は、十八日午後二時三十三分、老衰のため東京都渋谷区の代々木病院で死去しました。九十八歳。

 喪主は長男の太郎氏。葬儀は宮本家の密葬とし、党としての葬儀は参院選後にとりおこないます。

 一九〇八年(明治四十一年)山口県熊毛郡光井村(現在の光市)生まれ。愛媛県の松山高校を経て東京大学経済学部に入学。二九年二十歳のとき、雑誌『改造』の懸賞論文に応募した文芸評論「『敗北』の文学――芥川龍之介氏の文学について」が一等に入賞しました。

 三一年五月入党。三二年作家の中条百合子と結婚。三三年に二十四歳の若さで党の中央委員になりました。同年十二月、党に潜入していたスパイの手引きによって特高警察に検挙されます。

 特高警察は日本共産党の名誉を失墜させるため、さまざまな事件を仕立て上げ、デマ宣伝を繰り広げました。これにたいし、宮本氏は、獄中という困難な条件下で、日本共産党の名誉を将来にわたり守り抜くために全力をあげ、法廷では事実を解き明かして、デマ宣伝を打ち破りました。戦時下の暗黒裁判は、宮本氏にたいし、治安維持法違反を主とした無期懲役の判決を下しましたが、戦後、この判決は取り消されました。

 宮本氏は戦後すぐ党再建活動に参加、日本共産党をきわめて困難な状況に陥れたいわゆる「五〇年問題」では、その解決の先頭に立ちました。これはソ連のスターリンが革命直後の中国共産党の毛沢東指導部と組んで中国方式の武装闘争路線を日本共産党におしつけようとして企てた干渉作戦でした。

 この干渉のなかで党は分裂し、分裂した一方の側=徳田・野坂分派はスターリンの直接指導のもと北京に拠点をおいて、軍事方針とよばれる極左冒険主義の方針を日本に持ち込みます。徳田・野坂の分裂的行動に反対すると同時に、彼らが持ち込んだ武装闘争方針に真っ向から反対するたたかいの先頭に立ったのが宮本氏でした。

 党はこのたたかいを通して統一を回復、党綱領と自主独立の確固とした路線を確立しました。宮本氏は五八年の第七回党大会で書記長に選ばれます。六一年の第八回党大会まで継続審議となった綱領問題の討議を発展させるための小委員会責任者として、粘り強い論議を組織しました。

 第八回党大会で採択された綱領は、当面の革命について、世界の発達した資本主義国の共産党の間でいわば常識とされていた社会主義革命論をとらず、民主主義革命の立場を打ち出しました。綱領はまた、武装闘争方針や強力革命の路線をしりぞけ、日本の社会と政治のどんな変革も、「国会で安定した過半数」を得て実現することをめざす、という立場を明らかにしました。

 六〇年代には、ソ連共産党と中国共産党の毛沢東派から、それぞれ日本共産党を自分たちの支配下におこうとする覇権主義的干渉を受けました。これにたいし、日本共産党は、宮本氏を先頭に大論争をおこなって、これらの干渉をはねのけました。

 国際活動では、六六年、宮本氏を団長とする党代表団がベトナム、中国、北朝鮮三国を訪問。折からのアメリカのベトナム侵略に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために力を尽くしました。六八年には、宮本氏を団長とする北朝鮮訪問団が金日成と会談し、当時国際的に問題となっていた北朝鮮から南への武力介入計画の中止を求め、同意をかちとりました。

 米ソの核戦争の危険性が増大した八四年には、宮本氏を団長とする党代表団がソ連共産党代表団と会談し、不一致点はわきにおいて、核戦争阻止、核兵器全面禁止・廃絶にかんする「共同声明」を発表しました。この共同声明が契機となって、八五年二月、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」が発表されるなど、核兵器全面禁止・廃絶の主張が、世界の反核平和運動の大きな流れとなりました。

 七〇年幹部会委員長、八二年中央委員会議長に選出されます。九七年の二十一回大会で議長を引退、名誉議長に。二〇〇〇年の二十二回大会から名誉役員に。宮本氏は、六十九歳のときに、参議院議員に初当選。以来、一九八九年まで二期十二年務め、国会の場でも日本の民主的改革をめざすたたかいの先頭に立ちました。

 二十一回党大会の閉会あいさつで不破哲三委員長(当時)は、次のようにその足跡をたたえています。

 「宮本前議長が党の中央委員会に参加したのは戦前の一九三三年、それいらい、六十四年間、ほぼ三分の二世紀という長期にわたって、党の指導の先頭にたって活動してきました」

 「民主主義と平和の日本をめざす戦前の不屈の闘争に始まり、日本共産党をきわめて困難な状況におとしいれたいわゆる『五〇年問題』の解決、党綱領と自主独立路線の確立、諸外国の覇権主義との断固とした闘争、核兵器廃絶をめざす国際的な活動、日本の民主的な改革をめざすたたかいなど、宮本前議長がわが党とその事業のなかで果たしてきた役割と貢献は、歴史の事実として党史に明確に記録されている」

共産党―宮本時代を超えるには(朝日社説 2007年07月19日(木曜日)付)

 あるていどの年配なら、感慨を覚える人が多いのではないか。長く共産党の最高指導者として君臨した宮本顕治・前名誉議長が98歳の生涯を閉じた。病に倒れ、党の主導的な立場を去ってから10年の長い時間をへての死去である。

 戦前、共産党が非合法とされていた時代に入党し、12年に及ぶ獄中生活で非転向を貫いたカリスマ性。戦後、理論と組織の両面で党を率いた強固な指導力。とりわけ、議会重視の「民主主義革命」路線を確立したことは、党にとって不動の功績だったといえよう。

 ソ連・東欧の社会主義の崩壊で、世界の社会主義政党は窮地に立たされた。宮本時代が終わりに近づいたころだ。議長引退からこの10年、後継者として党を率いてきた不破哲三・前議長、そして宮本氏が抜擢(ばってき)した志位和夫委員長は、その波に大きく揺さぶられた。

 そんななかでも、浮き沈みはあっても共産党は国会で一定の議席を維持してきた。党が自負する通り、他党が離合集散するなかで、筋を通そうとする宮本氏以来の姿勢と無縁ではあるまい。

 だが、ともすれば硬直的になりがちなその姿勢が、共産党を小さく、閉鎖的にしてきた要因だったのではないか。

 社会主義政権ではなく、いまの憲法のもとで民主的な改革をめざす政党や政治勢力を結集する。それが宮本時代に打ち出した「民主連合政府」構想だ。

 なのに、一度として共産党は政権に加わることはなかった。それどころか、現在は「たしかな野党」を看板に、在野で生き残りを画さざるを得ない状況だ。

 不破時代の00年には党規約から「前衛政党」「社会主義革命」などの言葉を削り、さらに04年の綱領改定で象徴天皇制や自衛隊の存続を容認した。柔軟路線に少しずつかじを切ってきたのは事実だ。

 しかし、閉鎖性の象徴とされる民主集中制は規約に残したままだ。宮本氏から2代後のリーダーの時代になっても、なお「負の遺産」から抜け出せないということなのだろうか。柔軟路線はまだまだ道半ばの感である。

 自衛隊の国民監視活動をあばくなどの調査活動。政治腐敗や首相の靖国参拝を批判する論理の鋭さ。いまの共産党が、独自の存在感をもっていることは間違いない。だからこそ、もっと開かれた党になる努力をすべきではないか。社民主義政党への脱皮や党名の変更など、本格的な改革を求める党内の声に耳を傾けるべきだろう。

 共産党は民主党を「自民党と同じ」などと批判し、この参院選挙後の連携を否定している。社民党との足並みもそろわない。党員の高齢化が進み、党勢拡大の展望は見えない。いまのままの共産党が「21世紀の早い時期に民主連合政府を実現する」と言っても、現実味を感じる人がどれほどいるだろうか。

 共産党が宮本時代を乗り越えるには、さらに思い切った変身が欠かせない。

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コメント

7日付の4面は特にヒドイ。朝日の反共体質が浮き彫りになった。立花隆氏は民主集中を曲解し論じている。
1.民主的な制度ではない。
2.党中央に逆らう者は次々に除名や軌道修正をさせら、
3.誰も党中央に逆らわず、党中央の決定通りのことをおうむ返しに語るだけの組織
4.共産党がモデルとしてきた社会主義国が一斉に消滅市、政治経済モデルとしての社会主義の優位性も消えた。
5.日本共産党も消滅の危機が迫ったため、宮本綱領と全く違う不破綱領を採択
6.レーニン主義的革命を目指す立場を捨て、あくまで議会で多数派を目指す党になった。
7.私有財産を保障し、天皇制や自衛隊の存在も認めた。
8.民主集中制を捨てれば党内で議論がわき上って、2人はその地位を失いかねない。
9.3議席しか獲得できなかった議会政党としては事実上消えたも同然。
10.基本的に共産党の未来に望みはない。
11.若い人がほとんど入ってこない政党党派に未来はない。
12.先進国市民社会に受け入れられる形で組織を残すため真っ先にやるべきことは民主集中を捨てること。
13.ヨーロッパの(元)共産党はとっくに捨てている。それでも旧共産党の悪いイメージが強いヨーロッパでは生き残りに苦戦している。
14.早く宮本時代の残滓を捨て去るべき。

立花氏特有の自分の都合からしか「世界」を見ていない論だ。こうした論が国民の中に沈殿していることが、躍進を阻んでいることを声を大にして言わなければならない。TMや事務所費、自衛隊の国民監視、大東亜戦争を合理化正当化する靖国派の野望を挫く論戦、年金・格差是正問題における先進性・先見性、何より宮本顕治氏の獄中における手紙や裁判記録などを読めば、戦争終結・敗北と共産党の戦争反対運動の正当性と先見性をいっさい無視していることが明らかになる。政党助成金や企業団体献金の問題点等、「朝日」や立花氏はどう考えているのだろうか。こうした事を一切語らず、民主集中問題に集中させて日本共産党のイメージダウンを狙う手法を、そろそろ木っ端微塵にじなければならない。こんなことを言ったら恥かしくでメディアに登場できないような論戦と運動をすべきだろう。党名問題を含めて、そこが弱いのが最大の弱点かもしれない。こういうジャーナリストや新聞が「ジャーナリズム」の衣をかぶって大手を振っているところに日本の民主主義の弱点と到達点がある。
もう一つ「欧州左翼政党に詳しい」名古屋大学院教授の後氏の80年代孤立路線論やユーロコミュニズム論も事実を知らない暴論だし、共産党が自民党を助ける論に至っては大学院教授の論としては呆れる。だがこうした先生が学生を教えるのだから軽視できない。
以上長くなったが、この二人の記事が掲載されていなかったので要約してみた。

宮本顕治氏について、追加を述べさせていただきます。
それは身体をはって満州事変以後の戦争に反対し、大東亜戦争が誤りであることが歴史によって証明されるだろうと裁判闘争の最後で述べた先見性、拷問に屈せず、生死を彷徨う病苦にあって権力の誘惑に苦しなかった不屈性、百合子との間で交わした手紙による会話にみる愛情等、宮本顕治氏の評価は、未だに「一般的・国民的評価」には至っていません。不思議です。
では何故でしょうか?一つには、宮本顕治氏の対極に天皇の戦争責任問題が関係しているからです。もう一つは日本共産党の輝かしい伝統が国民の中に浸透することを恐れた自民党政権とそれに追随するメディアの立場があるからです。
ヨーロッパなどでは、ナチスに抵抗したレジスタンスは顕彰され、逆にナチスに協力した人々は、今でも弾劾されています。日本の場合は全く逆の現象が横行しているのです。これは日本共産党の表現を借りれば、戦犯政治、靖国派が未だに勢力を持って国会を跋扈・横行していることと無関係ではありません。
しかし最近の国際社会の動きをみれば、こうした日本国内の諸事実は「鎖国」化を示した現象、国際的孤立の道と言わなければなりません。
「欧州左翼政党に詳しい」名古屋大学院教授が、あのナチスの戦争に協力加担した人々の戦争責任と戦争に反対した人々の関係を知らないとすれば、大学教授としては失格でしょう。「朝日」は日本共産党のイメージダウンを狙って、こうした事実をいっさい無視し、日本共産党の歴史と事実を歪曲し、他人を使って攻撃する記事を掲載しています(社説も同様ですが)。これは、あのTM問題や事務所費問題同様、事実を述べないという点で、しかもジャーナリズム精神に反する捏造記事と同じ位置に立つという点で許すことのできない重大な問題を含んでいます。「朝日」が糾弾されなければならない本質的性格がここにあるのです。
問題は、こうした「攻撃」を受けた日本共産党がどう対応するか、今日の「しんぶん赤旗」には書かれていません。(核兵器問題を書いた「読売」の社説もヒドイものですが)この問題をどう位置づけ、単に反共主義というレベルの問題以上の位置づけをもって徹底的に解明し、反駁する必要があるでしょう。従来の表現を使えば、サンドバックになった日本共産党は「反共主義という毒素」が国民のなかに沈殿していくことを許すのでしょうか?

予想したとおりでしたね。日本共産党創立85周年記念講演会、日本国中のメディアが無視しました?!。自民党の選挙総括は連日報道しているのに、日本共産党の見解は無視する。「朝日」も当然でした。ケチは付けるが、真実は報道しない「朝日」は「夕日」=「黄昏」新聞ですね。これが日本の現実を象徴していますね。メディアをどうするか。それが日本の民主主義の進度を図る尺度になりそうですね。

 コミュニストさん、様々な情報をありがとうございます。朝日新聞をうちで取ってないので、いったい何のことか分からず、コメントにお返事できませんでした。ごめんなさい。

 図書館か何かで調べてからお返事しようかと思っていたら、AMLのメーリングリストで情報が流れたのでその記事を読むことができました。

http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-August/014789.html

 立花氏も未だにこんな古色蒼然とした認識を平気で書くんですね。先日発売された『文藝春秋』にもより詳しく書いています。これは読みました。

 宮本氏の件では、要するに戦前の特高が政治的意図を持って創作したストーリーを鵜呑みにしているだけですし、民主集中制については、自分が予め決めた結論を正当化するように事実と論理を創作しているだけのものです。

 最近はこういう発言を見なかったので、少しはまともな認識を持つようになったのかと思ってましたが、大いなる誤解でした。残念です。

 後房雄氏も十年一日のごとく軽薄な主張を展開しているだけですね。

 宮本氏死去の翌日の朝日新聞などに出ていた加藤哲郎氏氏や有田芳生氏のコメントも同様です。

 上記メーリングリストの投稿には、それにコメントされた適切な批判があります。

http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-August/014793.html

http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-August/014822.html

 いずれにしろ、これらの論は、国民の中で議論の的になっているものではなく、論者の政治的趣味・好み・主観の表出でしかありません。たまたま興味を持った人が調べてみれば良いことではないでしょうか。文献はいくらでもあります。直近のもので言えば、日本共産党創立85周年記念講演会の不破哲三氏の講演が十分な反論になっていると思います。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-11/2007081225_01_0.html

朝魚さんの「すべての宮本顕治論のために」へ、ジャンプしてみました。おっしゃるように圧巻でした。ご紹介ありがとうございます。

 ニッパチさん、コメントとご紹介をありがとうございます。

 ニッパチさんのエントリーにあるように、朝魚さんの「言葉で、最後まで、たたかい続けるのだ!」って、噛み締めたくなる言葉です。

 これからもよろしく。

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