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2007年4月 3日 (火)

アラブ連盟首脳会議で採択された「アラブ和平案」に注目(追加)

 アラブ連盟首脳会議は28日、「アラブ和平案」の復活についての決議案を全会一致で採択したそうです。29日には、アラブ諸国による「アラブ和平案」の誓約を確認した「リヤド宣言」を採択し、閉会したそうです。

 これは、画期的だと思います。自分の勉強のためのメモとして残しておきたいと思います。

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 この「アラブ和平案」は、国連決議242、338にも触れたサウジアラビア和平構想に基づき、(1)第三次中東戦争(1967年)時の占領地からのイスラエルの全面撤退、(2)エルサレムを首都とするパレスチナ国家の建設、(3)パレスチナ難民の帰還、の3点を柱にし、イスラエルがこれらの条件を受け入れれば、アラブ諸国がイスラエルとの外交関係を樹立するというもの。さらにイスラエルとの関係正常化後、核兵器、化学・生物兵器など大量破壊兵器のない中東地域の実現をめざすとしています。

 この「アラブ和平案」は、2002年サウジアラビアのアブドラ皇太子(今の国王)が提起し、同年3月28日のアラブ連盟首脳会議で「ベイルート宣言」として全会一致で採択されたもの。

 ところが、同案に対しイスラエルは当初、拒否の姿勢をみせ、米国も無視する態度を示してきました。

 その上で、翌2003年ブッシュ政権は、アラブ和平案に代わり、中東和平四者協議(米国、ロシア、欧州連合、国連)が策定した和平案(ロードマップ)を提示しました。

 しかしこれも、イスラエルが占領地での入植地建設を推進し、イスラエル、パレスチナ双方が武力衝突を続けたため、入り口で行き詰まり、事実上破綻しました。

 その後、2006年1月25日の評議会選挙でのハマスの地滑り的圧勝、2006年3月29日にパレスチナでハマス政権が成立。今年2007年の2月8日には、サウジアラビアのイスラム教聖地メッカで、ハマスとファタハが統一政権の樹立で合意し、3月17日にはハマスとファタハの参加する連立内閣が成立しました。

 その中、3月24日から中東を訪問したアメリカのライス国務長官は、訪問直前にこの「アラブ和平案」を復活させることを強調して、同案がイスラエル・パレスチナ間の交渉ルートの確立に資するとの見解を示し、各国首脳との会談でもこの復活を強調しました。

 ライス氏は、昨年2回の中東訪問では、レバノン戦争で停戦を遅らせ、シリア・イランを敵視して中東穏健諸国の取り込みを図るなど、和平妨害の役割を果たしてきました。

 ところが今回は、この「アラブ和平案」の復活を強調し、パレスチナ国家樹立をイスラエル・パレスチナ両者の「共通の課題」と訴えて、これまでとは異なる外交活動を展開しました。

 そしてこの度のアラブ連盟首脳会議での再度の決議・宣言です。

 従来も、パレスチナに関しては歴史的な合意がありました。

 オスロ合意(1993年9月)とロードマップ(2003年4月)です。

 オスロ合意は、イスラエル政府とパレスチナ解放機構(PLO)によって結ばれたもので、相互に承認し、交渉によって問題解決をしていくことで合意した点で画期的でした。

 しかし、その内容は、パレスチナ人の民族自決権を明記せず、国家建設も約束せず、また占領地からのイスラエルの撤退も明言しないというきわめて不十分なものでした。

 イスラエルにはこの程度の合意にも反対する勢力が根強く存在し、和平反対派のユダヤ人青年イガール・アミルによる合意したラビン首相の暗殺(1955年11月)、右派リクード党首シャロン氏の挑発による武力衝突(2000年9月)、そのシャロン氏の首相就任(2001年2月)という経過の中で破綻しました。

 ロードマップは、パレスチナ問題の当事者ではなく、アメリカ、ロシア、EU、国連の四者による合意です。

 内容には、パレスチナ国家の建設が盛り込まれ、パレスチナ・イスラエルの共存が盛り込まれましたが、やはりパレスチナ人の民族自決権の実現・確立が盛り込まれていると言えるものではなく、やはりきわめて不十分なものでした。実際には、パレスチナ側の暴力の停止ばかりが強調され、イスラエル側はほとんど何もしないまま今日に至りました。

 これに対して、今回の「アラブ和平案」は、パレスチナ国家の建設、イスラエルの占領地からの撤退、パレスチナ人の帰還権、アラブ諸国のイスラエル承認が明言されており、内容面で画期的だと思います。

 これが、パレスチナ人の民族自決権の実現・確立という中心点をはずさず実行されていくことを大いに期待したいと思います。

 以下のしんぶん赤旗の記事を参考にまとめました。

2002年2月3日「どうなってるの?イスラエルとパレスチナのオスロ合意」

2002年3月29日「アラブ首脳会議/サウジ和平案を採択/占領地からのイスラエル撤退要求/イラクへの攻撃は拒否」

2003年5月2日「米・EU・ロ・国連 中東紛争解決へ新提案(ロードマップ)/05年にパレスチナ国家樹立へ/民族自決権であいまいさ」

同上「解説 米主導で当事者参加せず」

2007年3月28日「『アラブ和平案』復活/米国務長官 無視から一転/関係各国で協議へ」

2007年3月30日「アラブ首脳会議/アラブ和平案復活決議/イスラエルは受け入れを」

追加(4月5日) 4月5日付のしんぶん赤旗「おはようニュース問答」の解説が分かりやすくまとまっているので、全文引用しておきます。

2007年4月5日(木)「しんぶん赤旗」

おはようニュース問答

アラブ諸国が改めて和平提案したね

みどり アラブ諸国がパレスチナ問題でイスラエルに和平提案をしたわね。

晴男 サウジアラビアのリヤドで開いた首脳会議が決めた。イスラエルが全占領地から撤退し、パレスチナ国家を認め、難民問題を解決すれば、アラブ諸国はイスラエルとの関係を正常化するというのが柱だ。

みどり もともと2002年に提案したものというけど、アラブ諸国が一致して、イスラエルとの共存を含め、和平交渉を提起した意義は大きいわね。

国交持たず対立

晴男 イスラエルは1967年の第3次中東戦争で、アラブの領土を占領した。エジプトとヨルダンとだけは平和条約を結んで占領地を返還したが、パレスチナ領土を占領したままだ。ほかのアラブ諸国とも国交を持たず対立を続けている。

みどり 和平案というと中東和平「ロードマップ(行程表)」があったけど・・・。

晴男 2003年に米国がロシアと欧州連合(EU)、国連を加えた四者で打ち出した。05年までにパレスチナ国家の樹立をめざすという段階的な和平構想だね。

みどり その第1段階は、イスラエルが占領地に作った違法入植地を撤去し、パレスチナ側は「テロ」活動をやめることだったわね。

晴男 しかし、イスラエルは最近になってガザ地区からは全面撤去したものの、ヨルダン川西岸での入植地建設をやめないし、一方的な武力侵攻や分離壁の建設を進めてきた。パレスチナ側も武力攻撃を続けた。ロードマップは入り口で行き詰まってしまった。

双方の共存確認

みどり 去年1月のパレスチナ議会選挙でイスラム抵抗運動のハマスが政権に就くと、欧米の経済制裁がおこなわれて、パレスチナの内部の混迷も広がったわ。

晴男 最近になってサウジアラビアの仲介でハマスとファタハを中心に広範な勢力が参加するパレスチナの統一政府がつくられた。そういうなかで出された今度の和平案は、1967年の第3次中東戦争前の境界線に沿ってイスラエルとパレスチナが共存していくことを改めて確認した。

みどり それだけに国際的に注目されているのね。

〔2007・4・5(木)〕

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