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2007年2月 1日 (木)

刑事裁判への被害者参加制度導入に思うこと(修正)

 法制審議会刑事法部会は30日、被害者参加制度の導入を柱とした要綱案をまとめました。

 裁判員制度の導入と同様、刑事裁判が理性的判断ではなく感情的判断になるのではないかと懸念されているようですが、僕はこのような見方は虚構(fiction)に基づく単純すぎるものではないかと思います。

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1.「客観的事実認識に基づく理性的判断」をするために

 確かに、この裁判員制度や被害者参加制度によって裁判が感情的なものになるという懸念を持つ人は、僕の周りにも日本共産党員であるかないかにかかわらず結構います。

 このような懸念は、裁判官を始めとする法律専門家が理性的判断をしていることが前提になっている訳ですが、僕はこれが虚構(fiction)だと思います。

 これは、同じ事件についても裁判官の間で判断が大きく分かれるとことが多々あること、その中で裁判官が下した判決に誰も納得しないものが多々あること(たとえば民事ですが先日の中国残留孤児に関する東京地裁判決)などから明らかではないでしょうか。裁判官等の法律専門家も一般国民の1人に他ならず、人によって様々な価値観やイデオロギー、あるいは人間観、人生観、世界観、また政治意識、さらには現状認識等を持っており、他方で法解釈が1つの解釈のみを許すものではなく論理の駆使によって幅広い解釈を許すものである以上(憲法9条の解釈を見てもわかります)、本当に誰もが理性的判断をしているなら1つの事件には1つの結論が出て来てよいはずなのに、様々な結論が現実には出てくるのです。実際に誰もが理性的判断をしているのではなく理性的判断のふりをするのがうまいというのが本当のところでしょう。要するに理性的判断をする人もいれば感情的判断をする人もいるのです。

 他方、被害者を始めとする一般国民が感情的判断しかできないかというと、実際にはそうではないことも明らかでしょう。ここにも理性的判断をする人もいれば感情的判断をする人もいるというのが実際だと思います。もし一般国民は感情的判断しかできないのだとすれば、選挙権や国民投票権、あるいは表現の自由など保障すべきではないことになると思います。裁判は1人の問題に関わることであり、立法等は全国民に関わることであることを考えれば、裁判に関わること以上に選挙等に関わることからは一般国民は排除されるべきことになるでしょう。

 そもそも裁判は「客観的事実認識に基づく理性的判断」でなければなりません。裁判員制度にしろこの被害者参加制度にしろ、この「客観的事実認識に基づく理性的判断」が法律専門家だけでは担保しきれなくなったからこそ導入が考慮されるようになってきたのではないでしょうか。

 数多い冤罪事件、被害者や一般国民には納得できない数多くの民事・刑事の判決といったことを思えば、このことは明らかでしょう。

 「客観的事実認識に基づく理性的判断」を可能にするためにより多くの知恵を集めなければならなくなっていると見るべきです。

2.真に「問題」を「解決」するために

 さらに考えると、上記のことと重なりますが、従来の刑事司法制度では問題が解決されないことが明らかになってきたことが制度改革を必要としているのだと思います。

 刑事裁判は従来「法秩序の維持」(公益)を目的として営まれてきました。被害者の保護(私益)は損害賠償制度により民事裁判で図られるべきだとされてきたのです。従来はそれで問題なかったのかもしれません。少なくとも問題は表面化しませんでした。

 しかし、そういう制度の中で、最も保護されてしかるべき被害者は本当に救済されてきたのか、さらにそもそもそれで本当に問題は解決されたのか、そうではないことが明らかになってきました。

 あるいは問題が存在する以上それは解決されねばならないのですが、その問題解決の中で刑事裁判・刑罰とはどういう役割を果たすのか。こういった問題があることが自覚されてきたのだと思います。

 ところが、社会に生起する問題の解決は法解釈技術の知識と経験だけでできるものではありません。その解決のためにはその他の様々な能力が要求されます。

 だからこそ問題の解決には様々な能力を持った人間の参加が要求されるのだと思います。真に問題を解決するためになお一層多くの知恵を集めなければならなくなっているのだと思います。

 ついでに言えば、この真に問題を解決するという視点で、復讐を禁止した上で法秩序を維持するために刑罰があると言いながら、刑罰を定めるにあたっては被害者の応報感情も考慮しなければならないというような曖昧な刑罰理論も再考される必要があるでしょう。

 結局何が本当に問題なのかをより広い視野で的確に把握し、その問題を解決するためにはどうしたらよいのかを探り、その「問題解決」のために「客観的事実認識に基づく理性的判断」を可能にしていかなければなりません。そのためにある程度手探りをしながら刑事司法制度改革をすすめていかなければならないのだと思います。法律専門家による理性的判断と一般国民による感情的判断の兼ね合いといった虚構(fiction)に基づく問題として把握されてはならないと思います。

 なお、31日付の日経新聞では、二男を交通事故で亡くした50才の父親が「多くの被害者や遺族は事件を受け止めるだけで精いっぱいなのに、今しかチャンスがないと言われれば公判に出ざるを得なくなる」、「制度は強くて知識のある人が前提で、慎重であるべきだ」と述べて懸念を示しているのが注目されます。今回の制度改革がなされたとしても問題は解決しないのです。

 なお、この件に関しては日経1月31日付が詳しく報道していましたが、短いながらも最も客観的な記事になっている今朝のしんぶん赤旗の記事を引用しておきます。

2007年2月1日(木)「しんぶん赤旗」

遺族も被告人質問
刑事裁判「被害者参加」を導入
法制審部会

 法制審議会(法相の諮問機関)の刑事法部会は30日、犯罪被害者や遺族が刑事裁判に参加し、被告人に直接質問できる「被害者参加」制度の導入を柱とした要綱案をまとめました。被告人を相手取って起こした損害賠償訴訟で被害者側が、刑事裁判で取り調べた証拠を利用できる制度も創設します。

 犯罪被害者に対する支援策の一環で、法制審は2月7日の総会で長勢甚遠法相に答申。法務省は今国会に刑事訴訟法改正案などを提出します。

 刑事裁判に被害者が直接参加する手段はこれまで、証人としての出廷や、事件への心情を述べる被害者意見陳述に限定されていました。新設される制度は、殺人、誘拐などの刑事裁判が対象。裁判所は、遺族や委託された弁護士を含む被害者側に、証人尋問や被告人質問、論告求刑後の意見陳述(被害者弁論)を許可できます。

 ただ、被害者側には発言内容を事前に検察官と調整させ、証人尋問も犯罪事実に関係ない「情状証人」だけを対象とします。意見陳述は、例えぱ殺人罪を否認している被告人に対しては、遺族に許されるのは「殺意はあった」「極刑を望む」といった事実関係や求刑などに関する意見に限られます。

 一方、刑事裁判の終結前に被害者側から被告人に対する損害賠償請求があった場合は、刑事裁判の証拠を民事裁判でも利用できるようにします。これに併せ、4回以内の期日で民事の審理が終結できると裁判所が判断した場合は、刑事裁判を担当した裁判官が引き続き民事の審理を担当します。

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