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2006年10月21日 (土)

核武装の議論の自由はない

 麻生太郎外相が、17日夜、自民党議員との会合で、同党の中川昭一政調会長が「核保有の議論はあっていい」と発言したことについて「タイミングのいい発言だった」などと支持する考えを表明していたことが、複数の出席者の話で分かったそうです(asahi.com)。

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 18日には、衆院外務委員会で、日本共産党の笠井亮議員の質問に対し、「1つの考え方として、いろいろ議論しておくことは大事だ」と述べたそうです(各紙)。

 さらに、19日には、衆院テロ対策特別委員会で、民主党の山井和則議員の質問に対し、「日本は言論統制された国ではない。言論の自由を封殺するということにくみしないという以上に明確な答えはない」と述べたそうです(asahi.comを始めとする各紙)。この発言は、日経19日付夕刊では、「この国は言論統制されている国ではない。自由主義国家であり、共産主義国家や社会主義国家とはわけが違う。言論を封殺するという考え方にはくみしない」と紹介されています。

 その直後、安倍晋三首相は、首相官邸で記者団に「議員個人個人が話すことは日本は言論の自由でしょうけど、党内の正式機関で議論することはないと思う」と語ったそうです(asahi.comを始めとする各紙)。

 要するに、麻生さんも安倍さんも「言論の自由」ということを根拠にしています。

 しかし、これははっきり言って、間違った考え方です。

 言論の自由(日本の憲法では21条)とは、国家権力が一般国民の言論を規制しようとするときにそのような規制をしてはならないという意味であって、国家権力を自ら担う者が何にも制約されない自由な政治活動を行ってよいという意味ではないからです。

 もし、言論の自由の意味を後者のようにいうなら、それは独裁国家の考え方であって、自由主義国家の考え方ではありません。

 そして、中川氏や麻生氏の核武装の議論をしてよいという発言は、彼らがどのように言い訳しようが、現実には、日本の国是とされている(従って政治の場面において憲法に準じるような重みを持つ)非核三原則(「核兵器を、作らず、持たず、持ち込ませず」という原則)を変える明白な政治活動です。

 中川昭一自民党政調会長、麻生太郎外相、安倍晋三首相が、言論の自由を根拠に核武装発言を続けるなら、彼らのいう「共産主義国家や社会主義国家」のような独裁国家へと日本を変えようとしているとして、強い批判を受けるべきです。

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政治2(日本外交3-核兵器)」カテゴリの記事

コメント

>核武装の議論の自由はない
題材によって(ちなみに中川氏が言ったのは核についての議論
は言ったけど”核武装の議論”などとは一言もいってませんが)

それに、あるテーマについて
議論の自由があるとか無いとか決めるのは誰?

少なくとも・・あなたが”議論の自由はない”と決め付ける事は
できません。

 こんな硬い記事を読んでいただき、またコメントをいただき、ありがとうございます。

 ただ、この問題や僕の記事を誤解されているような気がするので、同じことの繰り返しになるかもしれませんが、僕にもコメントさせてください。

 まず第1点。中川氏は核についての議論は言ったけど、核武装の議論とは言ってないとのことですが、これは中川氏の発言への誤解でしょう。

 僕の記事の本文にも書きましたが、中川氏の10月15日の発言は、日本の核保有を検討しろというものであり、ここで言う「核」とは「核兵器」を意味することは明らかですし、核兵器を保有することを核武装というのは日本語として当たり前の用法ではないのでしょうか。現に、さまざまなメディアで「核武装」という言葉は使われています。

 第2点。僕に「議論の自由はない」と決め付ける権限はない、あるいは決め付けてはならない、とのことですが、僕は決め付けているわけではありません。

 というのは、日本語において「決め付ける」とは「一方的に断定する」ことを意味しますが、そこにいう「一方的に」とは、相手の主張内容を考慮せずにということでしょうし、またなぜ相手の主張内容を考慮しなければならないかといえば、そうやってこそこちらの主張が理性的で従って合理的な理由を持った主張になるからでしょう。

 ところが、僕は、中川氏の主張が日本の核兵器保有という選択肢を検討しろということであり、言論の自由がその重要な根拠となっていることを、十分に考慮した上で、自分の主張(結論と理由)を展開しています。これは僕の記事の本文で疑問の余地のないことでしょう。

 従って、僕は、「議論の自由はない」と決め付けてはいません。この点あなたの誤解だと思います。

 あるいは、僕が「議論の自由はない」と明確な結論を述べたことが、あなたの「決め付けた」という誤解を生んだのかもしれません。

 しかし、結論を明確にすることは、発言する者にむしろ必要なことではないでしょうか。もちろん、人知には時々の限界がありますから、その明確さにも自ずと限度があるでしょうが、しかし、できるだけ結論を明確にすることは責任ある言論の要件だと思います。

 いかがでしょうか。誤解を解いていただけだでしょうか。まだまだ拙い主張でしょうが、これからもお読みいただければ幸いです。

 上記の2点に加えて、さらに「核武装の議論の自由」について考えて、11月8日付の記事として書いてみました。より詳しく自分の考えを書いたつもりです。

 上記のコメントの第3点目として読んでいただければ嬉しいです。

 誤解が正解に変わることを期待しております。

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